ミュージカル『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャン役などで知られる、ボーカルグループLE VELVETSのテノール・佐藤隆紀さん。
福島県喜多方市の出身で、実家がラーメン店だと知って驚いた人も多いですよね。
今回は、佐藤隆紀さんの実家である喜多方ラーメン「さくら亭」と、兄弟の有無や父親・母親のエピソードまで調査しました。
佐藤隆紀の実家は喜多方のさくら亭
佐藤隆紀さんの実家は、福島県喜多方市にあるラーメン店です。
喜多方市の公式ページに掲載された喜多方応援大使の就任コメントでも、本人が「実家はラーメン屋をしております」と明かしています。
まずは、佐藤隆紀さんご本人の基本情報を整理しておきます。
| 項目 | 内容 |
| 名前 | 佐藤 隆紀(さとう たかのり) |
| 生年月日 | 1986年2月5日 |
| 出身地 | 福島県喜多方市 |
| 身長 | 180cm |
| 学歴 | 福島県立喜多方高等学校→国立音楽大学演奏学科声楽専修 |
| 所属 | LE VELVETS(テノール担当) |
| 愛称 | シュガー |
生まれ育った町も、実家の商売も、まるごと喜多方ラーメンという土地柄と結びついています。
そして肝心の店名は「さくら亭」。
ラジオ番組で「今もお店はあるんですか?」と聞かれた佐藤隆紀さんは、「あります!『さくら亭』っていうんですけども」と即答しています。
お店の情報は次の通りです。
| 項目 | 内容 |
| 店名 | ラーメン処 さくら亭 |
| 場所 | 福島県喜多方市押切南 |
| 最寄駅 | JR喜多方駅から徒歩圏 |
| 看板メニュー | 桜の塩漬けをのせた塩ラーメン |
| 麺 | ツルツルとした多加水の手揉み麺 |
看板の一杯は、澄んだ塩スープの真ん中に桜の塩漬けがちょこんとのった一品です。
喜多方に帰るたびに、佐藤隆紀さんもここでラーメンを食べているそうですよ。
2019年に長期休業
さくら亭は、2019年に一度長期休業に入っています。
発表したのは佐藤隆紀さん本人でした。
☆御報告☆ 私の実家 喜多方ラーメン「さくら亭」 諸事情により今月20日をもちまして、無期限の長期休業をさせていただく形となりました。
引用元: 佐藤隆紀 公式X
同じ投稿で「特に大きな不幸があったという訳ではございませんので、ご心配無く!!」とも添えており、休業の理由そのものは公表されていません。
ただ、その後お店は復活しています。
再開は2020年と言われています。
2024年には地元のラーメンブロガーが取材に訪れ、佐藤隆紀さんもXでお店を紹介していました。
閉じたままにならなかったのは、ファンにとってもうれしいところですね。
佐藤隆紀の父親はさくら亭の店主
佐藤隆紀さんの父親は、さくら亭の店主を務めている人物です。
もともとラーメン店の生まれではなく、脱サラならぬ「脱・工場勤め」で店を構えたという経緯があります。
きっかけは、父親が納得のいく麺を作り上げたことでした。
僕が高校生くらいの時に父がラーメンの工場で働いていて、そこから「納得のいく麺ができたから、これでラーメン屋を出したいんだ!」って社長にお願いして、お店を出させてもらったっていう。
引用元: ニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」
つまり、さくら亭の麺は父親自身が開発したものというわけです。
お店の一番の売りが、そのまま父親の職人としての仕事になっています。
高校生だった佐藤隆紀さんも、当時は店を手伝っていました。
「いらっしゃいませ〜♪」といい声で接客していたと、笑いながら振り返っています。
それでも「店を継げ」と言われたことはないそうです。
「言われないですね」と語っており、息子の進路に口を出さない家庭だったことがうかがえる話でもあります。
なお2012年の福島民報の記事では、父・隆さんが店主を務めていると報じられていました。
2024年には父親が地元メディアの取材に応じ、佐藤隆紀さんが「普段聞かない父の思いも知り、なんとも不思議な気持ちになりました」とXに綴っています。
親子の距離感がなんとも味わい深いですね。
同じように家族との絆が印象的な佐賀龍彦さんの現在や脳梗塞からの経過も紹介しています。
佐藤隆紀の母親と歌の原点
佐藤隆紀さんの歌の原点をつくったのは、母親でした。
ディズニー好きの母親が、幼い息子のためにビデオをたくさん揃えてくれていたそうです。
なかでも大好きだったのが『アラジン』で、擦り切れるほど繰り返し観ては歌っていたといいます。
本人も「僕の音楽の原点はディズニーだと言い切ることができます」と語っています。
幼稚園の頃には、好きな女の子と同じピアノ教室に通いたいと両親を説き伏せ、大学生までピアノを続けました。
歌える環境を止めなかった家庭だったことが分かります。
母親の言葉が転機になった場面もあります。
高校で剣道部から合唱部へ移りたいと相談したとき、返ってきたのは「あなたの人生なんだからあなたが決めなさい」という一言でした。
半年悩んだ末に転部を決め、そこから音大進学の話につながっていきます。
「音大に進学したい」と伝えたときの母親の返事は「そう言い出すんじゃないかと思ってた」だったそうです。
震災後のエピソードも伝えられています。
福島民報によれば、佐藤隆紀さんは母・永子さんに東京への避難を提案しましたが、母親はこれを受け入れませんでした。
「あなたは歌で感動を与えるため頑張りなさい」。
この言葉が、古里で歌い続ける原動力になっているようです。
背中を押し方が一貫していて、素敵なお母さんですよね。
佐藤隆紀に兄弟はいる?
佐藤隆紀さんに兄弟はいません。
一人っ子です。
彩吹真央さんとの対談で「意外と末っ子キャラじゃない?」と言われた際、「LE VELVETSの中では末っ子ですね。実際は一人っ子ですけど」と本人が答えています。
グループでは最年少メンバーとしてデビューしているため、末っ子気質に見られることが多いようです。
実際の家庭では一人息子だったわけですね。
一人っ子でありながら、跡取りとして縛られることなく音楽の道に進んでいます。
ラーメン店を継ぐのが自然に見える立場でも、家族がその選択を後押ししたことになります。
もし店を継いでいたら、帝国劇場の舞台に立つ佐藤隆紀さんはいなかったかもしれませんね。
佐藤隆紀と実家のある喜多方の縁
佐藤隆紀さんは今も、実家のある喜多方と深くつながっています。
2024年11月には喜多方応援大使に委嘱され、市の公式な「顔」のひとりになりました。
就任コメントでは「喜多方の持つブランドや歴史をこれから深く学び、感動を呼ぶ喜多方の魅力を発信」していきたいと述べています。
喜多方市によれば、地元でのコンサートも毎年のように開催してきました。
歌手としての歩みも合わせて並べると、実家を出てからの道のりが見えてきます。
| 年 | 主な出来事 |
| 2008年 | LE VELVETSの最年少メンバーとしてメジャーデビュー |
| 2015年 | ミュージカル『タイタニック』で舞台初出演 |
| 2019年・2021年 | 『レ・ミゼラブル』でジャン・バルジャン役 |
| 2024年11月 | 喜多方応援大使に就任 |
| 2026年4月 | 第51回菊田一夫演劇賞を受賞 |
菊田一夫演劇賞の対象になったのは、『ジキル&ハイド』と『エリザベート』での演技でした。
喜多方のラーメン店から帝国劇場へという歩みが、賞という形で評価された年になっています。
実家の一杯と、舞台の歌声。
どちらも喜多方から生まれたものだと思うと、応援したくなりますね。
同じ舞台の世界で活動してきた黒川拓哉さんの現在と脱退の理由をまとめた記事もあります。
まとめ
今回は、佐藤隆紀さんの実家である喜多方ラーメン「さくら亭」と、兄弟の有無、父親と母親のエピソードを調査しました。
- 佐藤隆紀さんの実家は、福島県喜多方市押切南にあるラーメン店「さくら亭」です。桜の塩漬けをのせた塩ラーメンが看板メニューになっています。
- さくら亭は2019年9月に無期限の長期休業へ入りましたが、その後復活し、現在も営業が続いています。休業の理由は公表されていません。
- 父親はさくら亭の店主です。ラーメン工場で働いていた時期に納得のいく麺を完成させ、独立して店を構えました。
- 母親はディズニー好きで、幼い佐藤隆紀さんにビデオを揃えてくれた人物です。剣道部から合唱部への転部も、音大進学も本人の判断に任せました。
- 佐藤隆紀さんに兄弟はおらず、一人っ子です。それでも家業を継ぐことは求められず、音楽の道へ進んでいます。
- 2024年11月に喜多方応援大使へ就任し、2026年4月には第51回菊田一夫演劇賞を受賞しました。
実家のラーメンと同じくらい、これからも多くの人を満たす歌声を届けてほしいですね。


