サントリーサンバーズ大阪で背番号1を背負い、東京とパリの2大会連続で五輪に出場した202cmのミドルブロッカー・小野寺太志さん。
中学3年時点ですでに195cmという規格外の大きさで、その親の身長がどれくらいなのか気になる人も多いですよね。
今回は、小野寺太志さんの親の身長と両親それぞれの経歴、兄弟の有無や宮城県名取市の実家まで調査しました。
小野寺太志のwikiプロフィールと身長
小野寺太志さんは1996年2月27日生まれ、宮城県名取市出身のバレーボール選手です。
| 項目 | 内容 |
| 名前 | 小野寺 太志(おのでら たいし) |
| 生年月日 | 1996年2月27日 |
| 出身地 | 宮城県名取市 |
| 身長・体重 | 202cm・97kg |
| 最高到達点 | 350cm |
| 指高 | 261cm |
| 血液型 | A型 |
| ポジション | ミドルブロッカー |
| 所属 | サントリーサンバーズ大阪 |
| 出身校 | 東北高校→東海大学 |
身長202cmという日本代表でも屈指のサイズは、生まれたときから片鱗がありました。
出生時で身長55cm・体重4000gという大きさで、産着から肘まで出ていたそうです。
その後も小学6年で170cm、中学3年で195cmと伸び続けました。
それでいてブロックだけでなくレシーブやトスまで器用にこなすのが、小野寺太志さんの持ち味です。
競技の歩みは、中学3年でバレーボールに転向してから一気に加速しました。
| 年 | 主な出来事 |
| 2010年 | 全国都道府県対抗中学大会でオリンピック有望選手に選出 |
| 2011年 | 東北高校に進学し1年時から春高バレーに出場 |
| 2014年 | 東海大学に進学 |
| 2015年 | 日本代表に初招集 |
| 2018年 | JTサンダーズ広島に入団 |
| 2021年 | 東京オリンピックに出場 |
| 2023年 | サントリーサンバーズへ移籍、ネーションズリーグ銅メダル |
| 2024年 | パリオリンピック出場、ネーションズリーグ銀メダル |
高校入学時点ではほぼ未経験だった選手が、日本代表に欠かせない存在になったのは驚きですね。
小野寺太志の親の身長は?父と母
小野寺太志さんの親の身長は、父が186cm、母が179cmです。
両親ともバレーボール選手として競技経験があり、揃って長身の家庭でした。
| 続柄 | 身長 |
| 父・学さん | 186cm |
| 母・いく子さん | 179cm |
| 小野寺太志さん | 202cm |
本人もインタビューで、この体格について語っています。
宮城・東北高、東海大でプレーした父は186センチ、実業団で活躍した母も179センチ。
引用元: THE ANSWER
ただし小野寺太志さんは、202cmまで伸びた理由を遺伝だけとは考えていないようです。
好き嫌いなくよく食べ、夜10時には必ず寝る生活を子どもの頃から続けていたと振り返っています。
夏休みは朝10時まで眠ることもあり、夜更かしらしい夜更かしをした記憶がないのだとか。
「月9ドラマは見た記憶がない」という言葉には、成長期の過ごし方がよく表れていますよね。
その大きさは、幼い頃はコンプレックスでもありました。
小学校の入学式では「2年生が入ってきた」と言われ、施設に遊びに行くときは疑われるのを避けて自分から中学生料金を払ったそうです。
小野寺太志の両親はバレー経験者
小野寺太志さんの両親は、父・学さんと母・いく子さんで、どちらもバレーボール経験者です。
| 続柄 | バレーボール歴 |
| 父・学さん | 東北高校バレー部のOBで、東海大学でもプレー |
| 母・いく子さん | 富士フイルムで1981〜89年にプレーし主将も経験 |
母・いく子さんは旧姓を佐々木いく子さんといい、日本リーグの第一線で活躍した本格派でした。
父・学さんの進学先は順天堂大学だという情報もあります。
これだけの環境がありながら、小野寺太志さんは小学3年から中学3年の夏まで野球に打ち込んでいました。
地元の名取市が野球の盛んな土地だったことに加え、母がバレーボールを勧めなかったからです。
その理由は、母自身が現役時代に負った故障にありました。
私自身が両膝を壊したり、結構しんどい思いをしたというか、ハッキリ言えばバレーボールを嫌いになって現役を終わったんです。
引用元: Number Web
引退後は膝の状態も悪く、試合を見ることさえ避けていたといいます。
転機は中学3年の夏、父の母校である東北高校の関係者から宮城県選抜の選考会に誘われたことでした。
両親は「本人がやると言うまで、やれとは絶対に言わない」と決めて、最後の判断を息子に委ねています。
父・学さんは家事を全部引き受けた
小野寺太志さんがバレーボールに転向した直後、小野寺家では父と母の役割が大きく入れ替わりました。
母・いく子さんに東京勤務の辞令が出たためです。
仕事を辞めると言った妻に、父・学さんは「働いて下さい。家のことは、僕が全部やりますから」と即答したといいます。
ここから父は、練習の送り迎えから洗濯、掃除、食事まで一手に担いました。
中学の弁当の日には、得意ではない料理を早起きしてつくって持たせていたそうです。
友人の母親から「太志の分もつくるよ」と申し出があっても、「俺がつくる」と譲らなかったといいます。
息子が「父ちゃんの料理、茶色いんだよね」と笑いながら完食していたエピソードには、親子の温かさがにじみますね。
母・いく子さんは息子の意思を待った
母・いく子さんは、前のめりになる夫と渋る息子の間に立ち続けました。
まずはバレーボールを見せようと、中学の県大会が行われる仙台市体育館へ連れ出したのも母です。
会場には、東北高校の元監督が説得役として呼んだ元日本代表セッターの宇佐美大輔さんもいました。
それでも野球少年だった本人は、「オリンピックとか興味ないの?」と声をかけられても興味を示さなかったそうです。
高校で初めて公式戦に出た日も、両親は「私たちは素人の親だから」と裏方に徹していました。
息子がスターターに名を連ねていると知って驚いたという話に、親としての心配が表れています。
小野寺太志に兄弟はいる?
小野寺太志さんに兄弟はおらず、一人っ子として育ちました。
母・いく子さんは産休明けすぐに職場復帰したため、太志さんは0歳から託児所で母の帰りを待つ日々でした。
迎えが間に合わないときは近所の家に「ただいま」と帰るほどで、友人のきょうだいからは「太志兄ちゃん」と慕われていたそうです。
一人っ子でもわがままを言わず、周囲の大人に育ててもらったと母は振り返っています。
血のつながった兄弟はいませんが、地域ぐるみで育った少年時代だったようですね。
なお現在は自身が家庭を持ち、小野寺太志さんの妻は一般女性だと報告されています。
同年に長男、2023年には長女の誕生を報告しており、2児の父となりました。
小野寺太志の実家は名取市のどこ?
小野寺太志さんの実家は宮城県名取市にありますが、詳しい住所は公表されていません。
分かっているのは、高台に建つ家だったということです。
中学は名取市内の中学校に通い、東日本大震災が起きた2011年3月11日はその卒業式の日でした。
高台にあった自宅は津波の被害を免れたものの、父・学さんの気仙沼市の実家は被災しています。
生まれ育った名取市との縁は、今も途切れていません。
東京五輪の際には市役所や名取駅の東西自由通路にお祝いの横断幕が掲げられました。
パリ五輪のあとには名取市を訪れ、市長との対談に加えて市内の中学生や少年団の子どもたちを対象にしたバレーボール教室を開いています。
2025年3月には、名取市役所1階に記念パネルも展示されました。
さらに宮城県の第11期「みやぎ絆大使」にも委嘱されており、地元への貢献が続いています。
トップで戦いながら故郷とつながり続ける姿は、地元の子どもたちの目標になっていますよね。
まとめ
今回は、小野寺太志さんの親の身長と両親の経歴、兄弟の有無や名取市の実家まで調査しました。
- 小野寺太志さんは1996年2月27日生まれ、宮城県名取市出身のバレーボール選手です。身長202cm・最高到達点350cmのミドルブロッカーとして活躍しています。
- 親の身長は父が186cm、母が179cmです。本人は遺伝だけでなく、よく食べて夜10時には寝る生活も大きかったと語っています。
- 両親はどちらもバレーボール経験者で、父・学さんは東北高校バレー部のOB、母・いく子さんは富士フイルムで主将も務めた元実業団選手でした。
- 母は自身が膝を壊した経験からバレーボールを勧めず、中学3年の夏まで野球に打ち込んでいました。転向後は母の東京勤務を機に、父が家事をすべて引き受けて支えています。
- 兄弟はおらず一人っ子として育ちました。実家は名取市の高台にあり、詳しい住所は公表されていません。
親から受け継いだ高さに努力を重ねてきた小野寺太志さんが、これからどんなブロックを見せてくれるのか楽しみですね。

