横浜高校のエースとして注目を集める織田翔希さんが話題です。
最速157キロを武器にドラフト1位候補へと駆け上がり、4季連続となる夏の甲子園のマウンドに向かっています。
今回は、織田翔希さんの目にまつわる話題とサングラス着用の背景を調査しました。
織田翔希のwikiプロフィール
まずは織田翔希さんの基本情報から見ていきましょう。
| 項目 | 内容 |
| 名前 | 織田 翔希(おだ しょうき) |
| 生年月日 | 2008年6月3日 |
| 年齢 | 18歳(2026年8月時点) |
| 出身地 | 福岡県北九州市 |
| 身長・体重 | 186cm・80kg |
| 投打 | 右投げ右打ち |
| ポジション | 投手 |
| 球歴 | 足立小(足立クラブ)-足立中-横浜高 |
小学1年で地元の軟式チームに入り、足立中では3年時に全国大会へ出場。
軟式ボールで143キロを計測していたというのですから、中学時代からすでに規格外だったわけですね。
横浜高校では1年春からベンチ入りし、背番号16を背負ってスタート。
1年秋には背番号10を任され、2年春のセンバツで優勝、同年夏の選手権では8強入りを果たしています。
3年春には県大会と関東大会を制し、球速も154キロ、そして157キロへと更新を重ねてきました。
持ち球はカーブ、スライダー、チェンジアップ、フォーク。
なかでも高い回転数のカーブは、直球との落差で空振りを奪う決め球になっているようです。
ここまでの歩みを見るだけでも、同世代No.1右腕と呼ばれる理由が伝わってきますよね。
織田翔希に目の病気の噂が出たのはなぜ?
織田さんの「目」が注目されるようになったきっかけは、2026年3月14日に行われた第98回選抜高校野球大会の甲子園練習でした。
この日、マウンドから10球ほど投げ込んだ織田さんは、サングラスをかけた姿でカメラの前に立っています。
高校球児のサングラス姿は今でこそ珍しくありませんが、大会の主役級の投手が着けていたことで、視線が一気に集まりました。
そのときに本人が語ったのが、次の内容です。
この日はサングラスを着用していた。目の不調もあって、練習ではかけているそうで「試合では外します」と話した。
引用元: 西スポWEB OTTO!
つまり、確認できているのは「目の不調がある」という点までです。
具体的な病名や診断結果は公表されていません。
「目の病気」なのではという憶測も飛び交いましたが、現時点で病名を裏付ける情報は見当たらず、疾患名を断定できる材料はないというのが実際のところです。
ネット上では結膜炎ではないか、光に敏感なのではないか、といった声も見られます。
ただ、いずれも本人や学校が語ったものではないため、あくまで推測に過ぎません。
この点は慎重に受け止めておきたいところですね。
なお、同じ甲子園練習で織田さんは「体の状態としては万全です」とも話しており、投げること自体に支障が出ていたわけではなさそうです。
少し安心できる材料でもありますよね。
織田翔希のサングラス着用は特別な措置なのか
「高校野球でサングラスってアリなの?」と感じた方も多いのではないでしょうか。
実はこれ、織田さんだけの特別扱いではありません。
日本高校野球連盟は2025年1月23日の理事会で高校野球用具の使用制限を見直し、サングラスをそれまでの許可制から申し出制へ変更しています。
レッグガードやエルボーガードと同じように、試合前の用具点検で申し出れば使えるようになったわけです。
見直し前の使用条件は、目の疾病があることか、陽光をやわらげること。
そこに「紫外線から目を守る」という目的が加わった形になります。
対象はグラウンドやベンチにいる選手だけでなく、記録員、指導者、審判委員まで広がっており、2025年の選抜では審判委員がサングラス姿でジャッジする光景も見られました。
ただし細かい決まりもあります。
メガネ枠の色はブラック、ネイビー、グレーに限られ、ホワイトは不可。
メーカー名は枠の幅に収める必要があり、著しく反射するレンズも認められていません。
帽子のつばの上や胸元に掛けたままプレーすることも、落として踏む危険があるため禁止されています。
こうしたルールを踏まえると、織田さんのサングラス姿は制度に沿った自然な選択だったことになりますね。
試合ではサングラスを外している理由
気になるのは、練習でかけているのに試合では外している点です。
本人は「試合では外します」とだけ語っており、細かい理由までは説明していません。
投手はキャッチャーのサインや構えを読み取り、微妙な指先の感覚と視覚を合わせて投げる仕事です。
視界の色味や見え方が変わることを避けたい、という判断があったのかもしれませんね。
ただ、これはあくまで一般的な考え方であって、本人が明言した理由ではない点は押さえておきたいところです。
織田翔希の目の不調はセンバツにどう響いた?
サングラス姿が報じられた6日後、2026年3月20日の1回戦で横浜は神村学園と対戦しました。
結果は0-2で敗れ、春連覇の夢はここで途切れています。
織田さんは7回2/3を投げて7安打2失点、最速は150キロ。
試合後は「甲子園という舞台で自分が変わってしまった」と振り返りました。
「横浜の背番号1には、簡単には背負ってはいけない責任や重圧が、どの学校よりもあると思う。そういう意味では、名前を汚すピッチングをしてしまった」
引用元: 日刊スポーツ
このとき本人は「コンディションは万全だった」と語っており、目の不調が敗因として挙げられたわけではありません。
冬から取り組んできたセットポジションで球が高めに浮いたことを課題に挙げ、原因を自分自身の内側に求めていました。
ちなみに1年前の2025年センバツでは、開幕前に右手中指の爪が割れ、さらに胃腸炎で発熱して寝込むというアクシデントに見舞われながら全5試合に先発し、優勝を手繰り寄せています。
体調面のトラブルを抱えても結果を出してきた選手なんですね。
織田翔希の現在は?最後の夏に懸ける思い
2026年夏、織田さんは3年生として最後の甲子園を迎えています。
7月26日の神奈川大会決勝では桐光学園を相手に9回1失点、130球で完投。
9回2死から自己最速タイの157キロをマークし、横浜スタジアムをどよめかせました。
試合後は涙を見せ、左足首にテーピングを巻いて仲間に背負われながらベンチ裏へ運ばれるほどの力投だったようです。
この夏は2回戦で打球を左足首に受けて途中交代し、準決勝でも右脚の違和感で降板するなど、脚のトラブルが続いていました。
それでも決勝のマウンドに立ち、チームを4季連続の甲子園へと導いています。
8月3日の甲子園練習では10球を投げ込み、「いつ来ても、何回来ても初心に戻れると言いますか、自分としてはすごく本当に原点であり、思い出の場所」と語りました。
初戦の相手は昨夏優勝の沖縄尚学。
独特の大応援についても「自分の応援だと思って力に変えて」と前を向いています。
目に関しては、その後に新しい情報は確認できていません。
プロ志望のドラフト1位候補として注目を浴びる立場だけに、コンディションの続報を待ちたいところですね。
▽織田翔希さんの家族構成と実家については、こちらの記事で詳しくまとめています。
まとめ
織田翔希さんの「目の病気」という話題は、2026年3月の甲子園練習でサングラス姿を見せたことから広まりました。
本人が語ったのは「目の不調もあって、練習ではかけている」という内容までで、病名や診断結果は公表されていません。
高校野球では2025年からサングラスが申し出制となり、紫外線から目を守る目的でも使えるようになっています。
センバツは初戦敗退に終わりましたが、この夏は神奈川大会決勝で157キロをマークして完投し、4季連続の甲子園出場を決めました。
最後の夏、聖地でどんな投球を見せてくれるのか楽しみですね。

