1975年に女性として世界で初めてエベレスト登頂を果たし、七大陸最高峰も女性で初めて制覇した登山家の田部井淳子さん。
吉永小百合さん主演の映画『てっぺんの向こうにあなたがいる』で家族の姿も描かれ、田部井淳子さんの娘や息子、旦那さんがどんな人なのか気になった人も多いですよね。
今回は、田部井淳子さんの家族構成とあわせて、娘・教子さんや息子の高校、夫の職業と足の凍傷、歳の差、現在の様子を調査しました。
田部井淳子の娘と息子・家族構成は?
田部井淳子さんの家族構成は、夫・政伸さん、長女・教子さん、長男・進也さんの4人家族です。
淳子さんは1939年9月22日、福島県田村郡三春町の生まれで、旧姓は石橋です。
7人兄弟の末っ子として育ち、1967年に山で知り合った政伸さんと結婚しました。
家族それぞれのプロフィールをまとめると、次のようになります。
| 続柄 | 名前・プロフィール |
| 本人 | 田部井淳子(1939年生まれ・2016年没) |
| 夫 | 田部井政伸(1941年生まれ・群馬県出身) |
| 長女 | 教子(一般の方のため詳細は非公表) |
| 長男 | 進也(1978年生まれ・埼玉県川越市出身) |
淳子さんは2016年10月20日、腹膜がんのため77歳で亡くなりました。
家族がそろって山に親しむ、まさに山好き一家だったようですね。
田部井淳子の娘・教子の現在は?
田部井淳子さんの娘は、長女の教子さんです。
1975年6月、エベレスト登頂を終えて羽田空港に帰国した淳子さんが、出迎えた娘の教子さんを抱き上げる姿が報道写真に残っています。
登頂時、教子さんはまだ3歳だったと言われています。
母がエベレストにいた間の暮らし
淳子さんがエベレスト遠征で家を空けていた間、教子さんは父の政伸さんと一緒に、淳子さんの姉の家に身を寄せていたという話があります。
当時は手紙のやり取りに10日以上かかる時代で、夫婦は互いを信頼して送り出したそうです。
教子さんの現在
教子さんは一般の方のため、年齢や職業、結婚しているかどうかなど現在の詳しい情報は公表されていません。
ただ、2023年に山と溪谷社から刊行された柏澄子さんの著書『彼女たちの山』では、母・淳子さんについて教子さんがインタビューに応じています。
表に出ることは少なくても、母の生き方を語り継ぐ一人であることは間違いなさそうですね。
田部井淳子の娘と息子・進也の高校は?
田部井淳子さんの息子・進也さんは、都内の中高一貫校に通っていましたが、途中で中退し、福島県立南会津高等学校に編入しています。
東京と福島の高校を、あわせて6年かけて卒業したそうです。
親に黙って高校を中退
進也さんは思春期のころ、「田部井淳子の息子」と見られることに苦しみ、反抗的な行動が続いた時期がありました。
17歳ごろには、親に相談もせず突然高校を辞めてきたといいます。
「さすがに僕もかみさん(注:淳子さん)もびっくりしましたね。前触れも相談もなく、勝手に辞めてきちゃうもんだから。」
引用元: コクリコ(講談社)
退学した冬は、スキーの指導者とアメリカで競技スキーの大会を回っていたそうです。
その後、夜遊びを続ける中で将来に悩み、周りの大人の助言もあって福島の高校へ進むことになりました。
進也さんの学歴と現在の活動
高校を卒業したあとは大学・大学院へ進み、アウトドアを仕事にしています。
| 時期 | 学歴・経歴 |
| 1978年 | 埼玉県川越市で誕生 |
| 高校 | 都内の中高一貫校を中退し福島県立南会津高等学校へ編入 |
| 大学 | 駿河台大学(スキー部で部長を務める) |
| 大学院 | 駿河台大学大学院文化情報学研究科を修了し筑波大学大学院へ |
| 現在 | 福島県の沼尻高原ロッジなどを運営し「東北の高校生の富士登山」代表 |
大学院では、中高年の観光登山を論文のテーマに選んだそうです。
淳子さんが亡くなったあとは、母が始めた東北の高校生の富士登山プロジェクトを受け継いでいて、映画では若葉竜也さんが進也さんをモデルにした役を演じました。
母の遺志をしっかり形にしているのが心強いですね。
田部井淳子の娘の父・旦那の職業と足
田部井淳子さんの旦那さん・田部井政伸さんの職業は、本田技研工業(ホンダ)の会社員でした。
政伸さんは群馬県生まれで、前橋でボーイスカウトに入り、赤城山や榛名山に登るうちに山に夢中になったそうです。
高校生のころからバイクも好きで、1961年にホンダへ入社し、同社の山岳部にも所属しました。
夫も実力派のクライマー
政伸さん自身も、国内外で記録を残した本格派の登山家です。
| 年 | 主な出来事 |
| 1961年 | 本田技研工業に入社 |
| 1967年 | 石橋淳子さんと結婚 |
| 1968年 | グランド・ジョラス北壁とマッターホルン北壁を1シーズンで登る |
| 1988年 | 50ccバイクで北米大陸ノンストップ横断を達成 |
| 〜2009年 | NHK文化センター川越教室の「健康山歩き教室」講師 |
谷川岳幽ノ沢中央壁左方ルンゼの初登攀も記録しています。
淳子さんがエベレストに挑めたのは、同じ山の世界を知る夫がいたからこそかもしれませんね。
凍傷で失った足の指
田部井政伸さんは、若いころにヨーロッパでの岩登りの最中に凍傷を負い、足の指を4本失っています。
それでも登山はやめず、淳子さんを支えながら国内外の山に登り続けました。
淳子さんのがん闘病中は、指先のしびれで靴ひもを結べなくなった妻に付き添い、一緒に山へ通ったそうです。
足にハンデを抱えながら妻を支え続けた姿には、胸を打たれますね。
田部井淳子と夫の歳の差・娘の父の現在
田部井淳子さんと夫・政伸さんの歳の差は2歳で、淳子さんのほうが年上です。
淳子さんは1939年9月生まれ、政伸さんは1941年10月28日生まれなので、2人は姉さん女房の夫婦でした。
1967年の結婚時、淳子さんは27歳、政伸さんは25歳だったことになります。
「うちの旦那は大当たり」と言い合う夫婦
淳子さんは著書の中で、夫のことを「大当たり」と書いていました。
政伸さんも、2人で過ごした半世紀を次のように語っています。
とても楽しかったですよ。うちのかみさんも、よく自分の本に「うちの旦那は大当たりだ」と、書いてくれていたけれど、僕もそれと同じでね。大当たりでした。
引用元: コクリコ(講談社)
政伸さんは周りが心配して止めるときでも「本当に好きなことをやるなら応援するよ」と背中を押していたそうです。
子どもたちにも「間違ったことでない限りなんでもやっていい」と伝えてきたといいます。
政伸さんの現在
田部井政伸さんは淳子さんが亡くなったあとも、東北の高校生の富士登山に同行するなど、妻の遺志を継ぐ活動を続けています。
81歳だった2023年のインタビューでは、参加者1000人の目標達成まで一緒に登りたいと話していました。
2017年には妻との日々をつづった著書『てっぺん 我が妻・田部井淳子の生き方』(宝島社)を出版しています。
淳子さんが生前に書いていたブログも、今は政伸さんが引き継いで田部井淳子基金のサイトで更新しています。
2025年の映画公開時にもインタビューに応じていて、変わらず元気な様子がうかがえるのはうれしいですね。
まとめ
今回は、田部井淳子さんの娘・教子さんをはじめ、息子の高校、夫の職業や足、歳の差、現在までの家族構成を調査しました。
- 田部井淳子さんの家族構成は、夫・政伸さん、長女・教子さん、長男・進也さんの4人家族です。
- 娘の教子さんはエベレスト帰国時に空港で出迎えた長女です。一般の方のため、現在の詳しい情報は公表されていません。
- 息子の進也さんは都内の高校を中退し、福島県立南会津高等学校へ編入しました。大学院を経て、現在は母の富士登山プロジェクトを継いでいます。
- 夫の政伸さんの職業は本田技研工業の会社員で、北壁登攀の記録を持つクライマーでもあります。
- 政伸さんは若いころに凍傷で足の指を4本失いましたが、その後も山に登り続けました。
- 夫婦の歳の差は2歳で、淳子さんが年上です。政伸さんは現在も妻の遺志を継ぐ活動を続けています。
家族が受け継いだ田部井淳子さんの思いが、これからも多くの人の挑戦を後押ししていきそうですね。
