旧皇族・賀陽宮家の当主を務める賀陽正憲さんの息子たちが、ネット上で注目を集めています。
愛子さまの結婚相手候補として名前が挙がることもあり、家族構成やそれぞれの経歴が気になっている人も多いようです。
今回は、賀陽正憲さんの息子さんたちのプロフィールや現在の様子、賀陽家の家系図について調査しました。
賀陽正憲の息子は2人|長男・次男のwikiプロフィール
賀陽正憲さんという父親の名前は知っていても、息子2人の名前まではぴんとこないという人も多いのではないでしょうか。
まずは賀陽正憲さんの息子2人について、分かっている情報を整理しておきましょう。
| 項目 | 長男 | 次男 |
| 名前(複数の情報) | 秀憲(ひでのり) | 孝憲(たかのり) |
| 生まれ | 1996年 | 1998年 |
| 学歴 | 学習院(幼稚園〜高等科)→早稲田大学政治経済学部 | 学習院(幼稚園〜高等科)→早稲田大学理工学部 |
| 高校時代の部活 | 古武道部 | アーチェリー部 |
| 職業(複数の情報) | 神戸製鋼に勤務していると言われる | 都内企業に勤務していると言われるが詳細不明 |
Wikipediaには、正憲さんの子女として「長男(1996年-)」「次男(1998年-)」の記載があり、この2人が秀憲さん・孝憲さんにあたるとみられています。
ただし公式には実名までは明かされておらず、「秀憲さん」「孝憲さん」という名前は複数の情報から伝えられているものです。
2人とも学習院の幼稚園から高等科まで一貫して学び、そのあと早稲田大学に進学したという点は共通しているようですね。
進学した学部は長男が政治経済学部、次男が理工学部と分かれており、文系・理系で異なる道を歩んでいるのが興味深いところです。
そもそも賀陽家は、昭和22年(1947年)に皇籍を離脱した11の宮家のうちのひとつです。
一般には馴染みの薄い家柄かもしれませんが、皇室と近い血筋を持つ家柄として、近年になって再び注目されるようになりました。
そうした背景もあり、正憲さんの息子2人がどのような人物なのか、関心を持つ人が増えているのかもしれませんね。
なお、正憲さんの妻は良子さん(旧姓・山本)とされており、2人の息子は正憲さんと良子さんの間に生まれたお子さんにあたります。
母方の詳しい経歴については公表されておらず、現時点では分かっていません。
学習院時代の2人
学習院高等科では、長男の秀憲さんが古武道部、次男の孝憲さんがアーチェリー部にそれぞれ所属していたと伝えられています。
いずれも文武両道の校風で知られる部活動であり、幼少期から伝統や礼儀を重んじる環境で育ってきたようですね。
早稲田大学時代
大学進学後についても、複数の情報から少しずつ詳細が伝わっています。
長男の秀憲さんは政治経済学部に在籍し、2018年度には「関ヶ原の合戦」をテーマにした卒業論文をまとめたとも言われています。
歴史をテーマに選んだ点は、日本史や自身の家柄にまつわる出来事への関心の高さを感じさせるエピソードですね。
一方の次男・孝憲さんは理工学部に進んでおり、文系の兄とは異なる専門分野を選んだことになります。
賀陽正憲の長男・秀憲と次男・孝憲|文系と理系の兄弟
賀陽正憲さんの息子については、長男と次男の情報が混ざって伝わっているケースも見かけます。
まず整理しておくと、2人のうち年上にあたるのが長男の秀憲さんで、年下にあたるのが次男の孝憲さんです。
愛子さまの結婚相手候補として週刊誌などで取り上げられることが多いのは、主に次男の孝憲さんのほうになります。
一方で、御所での集まりに参加した際の様子などから、長男の秀憲さんに関心を持つ人も増えているようです。
兄は文系(政治経済学部)で神戸製鋼という民間企業に、弟は理系(理工学部)で詳細不明の企業に進んだと言われており、それぞれ違うキャリアを歩んでいる点も、2人を区別するポイントになりそうですね。
人物像についても、育ちの良さを感じさせる物腰や品のある雰囲気といった評判がネット上で見られますが、これはあくまで周囲が受けた印象であって、本人が公にコメントした内容ではありません。
2人とも表舞台に出る機会がほとんどないため、こうした評判が実像とどこまで一致しているのかは、正直なところ分からない部分も多いようです。
賀陽正憲の次男と愛子さまの噂の真相
賀陽家の息子たちがここまで注目されるようになった背景には、愛子さまの結婚相手候補として名前が挙がっていることが大きく関係しています。
2023年3月にNEWSポストセブンが配信した記事では、次男について次のように報じられました。
「愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で、旧賀陽宮家の次男であると聞いています。愛子さまよりも4才年上のイケメンです」
引用元: NEWSポストセブン(2023年3月2日配信)
この報道をきっかけに、次男の孝憲さんが「愛子さまのお相手候補」として広く知られるようになったようです。
ただし、この話はあくまで関係者の話をもとにした報道であり、婚約や交際が公式に発表されたわけではありません。
愛子さまのお婿さん候補は、このほかにも池坊専宗さんなど複数の名前が挙がっており、詳しくはをこちらの記事でまとめて紹介しています。
現時点では、あくまで「候補のひとり」という段階にとどまっているとみるのが実情に近そうですね。
この話題がここまで注目される背景には、皇室典範の規定も関係しています。
現在の皇室典範では、女性皇族が民間の男性と結婚した場合、皇籍を離脱することになっています。
賀陽家の息子たちは旧皇族の血筋を引く家柄とはいえ、現行制度上はすでに一般国民という扱いになるため、結婚すれば愛子さまは皇籍を離れる立場にあります。
だからこそ、お相手候補が誰になるのかという話題は、単なる恋愛の噂にとどまらず、皇室制度の今後にも関わる注目点として扱われているようですね。
なお、こうした縁談報道について、宮内庁から正式なコメントが発表された事実は確認されていません。
あくまで週刊誌などの報道にとどまっている段階であることは、押さえておきたいポイントですね。
賀陽正憲の息子たちの職業と現在
息子2人の現在についても、気になっている人が多いようです。
複数の情報によると、長男の秀憲さんは早稲田大学政治経済学部を卒業したあと、神戸製鋼に就職したと言われています。
次男の孝憲さんについても、早稲田大学理工学部を卒業したあと都内の企業に勤務しているとの情報がありますが、具体的な社名や職種までは分かっていません。
2人とも皇室と近い家柄に生まれながら、現在は一般の会社員として生活を送っているとみられ、公の場に姿を見せる機会自体が少ないようです。
結婚や子供の有無についても、現時点で公表されている情報は見当たりません。
父・正憲さんが宮内庁勤務を経て外務省に出向したのとは対照的に、2人の息子はどちらも民間企業を選んでいる点も、世代による違いを感じますね。
旧皇族の子孫というと堅苦しいイメージを持つ人もいるかもしれませんが、実際には他の旧宮家の子孫たちも一般企業に勤めるケースが多いようです。
賀陽家の息子2人についても、特別扱いされることなく、ごく普通の会社員生活を送っているとみるのが自然かもしれませんね。
そのため、本人の顔写真についても公式に確認されたものは見当たらず、過去にネット上に出回ったとされる画像についても真偽ははっきりしていません。
一部では「御所での集まりに参加した際の写真」といった情報も伝えられていますが、こちらも出所がはっきりしないため、断定はできません。
一般人としてのプライバシーが尊重されている以上、今後も詳しい近況が表に出てくる可能性は高くないかもしれませんね。
とはいえ、皇室に近い家柄という特殊な立場にあることから、何かの折にまた話題になる可能性は十分にありそうです。
特に次男の孝憲さんについては、愛子さまをめぐる報道のたびに名前が挙がる傾向があり、今後も動向が注目され続けそうですね。
▽賀陽孝憲さんの職業や経歴はこちらの記事で詳しくまとめています。
賀陽正憲の経歴|陛下との深い関係
息子たちの家柄を知るうえで欠かせないのが、父・賀陽正憲さん自身の経歴です。
正憲さんは学習院大学の法学部出身で、卒業後はメーカーや信託銀行での勤務を経験し、その途中でイギリスに留学していた時期もあるそうです。
その後、2000年になって民間から国家公務員へと転じ、宮内庁の式部職に配属されました。
式部職は宮中の儀式や外国からの賓客対応、雅楽の演奏などを担当する部署で、皇室の伝統行事を陰で支える役割を持っているといわれます。
宮内庁での勤務のあとは外務省へ出向し、在デンマーク大使館で一等書記官というポストを務めたのち、外務本省での勤務を経て退官したと伝えられています。
一等書記官は各国の大使館で実務を支える責任あるポストのひとつで、日本とデンマークの外交関係に携わっていたとみられます。
企業勤めから国家公務員、そして宮内庁から外務省へと役所も転々としており、皇室に近い立場ならではの多彩な経歴を歩んできたことが分かりますね。
家柄の面では、正憲さんは今上天皇と三従兄弟の関係にあたるとされ、しかも同い年で、学習院の幼稚園時代から大学まで机を並べていた間柄でもあるそうです。
かつては陛下の妹君である清子内親王(紀宮さま)の結婚相手候補として名前が挙がった時期もあり、宮内庁勤務時代には陛下ご即位後の侍従就任がささやかれたこともあったといいます。
しかし、長年付き合ってきた友人同士に上下関係が生まれてしまうことを陛下自身が気にかけ、この話は自然と立ち消えたとも伝えられています。
そうした間柄もあってか、正憲さん一家は今も陛下と家族ぐるみの付き合いが続いているそうですね。
賀陽正憲の家系図|賀陽宮家の由緒と皇籍復帰の可能性
賀陽正憲さんの実家である賀陽宮家の家系についても触れておきます。
賀陽宮家は、1900年(明治33年)に久邇宮朝彦親王の第二王子・邦憲王を初代として創設された宮家です。
東京のほか兵庫県須磨(現在の神戸市須磨区)にも邸宅を構えていたと伝えられており、関西とのゆかりも深い家柄だったようですね。
そして戦後の昭和22年(1947年)10月、2代・恒憲王の代で他の10の宮家とともに皇籍を離脱し、以降は民間人として活動してきました。
初代・邦憲王は昭和天皇の后・香淳皇后の伯父にあたり、2代・恒憲王の妃も貞明皇后の姪にあたるなど、賀陽家はもともと皇室と深い姻戚関係を持つ家柄だったそうです。
こうしたつながりから、賀陽家と皇室は菊栄親睦会や常磐会といった旧皇族・旧華族の親睦組織を通じて、現在も交流が続いていると伝えられています。
正憲さんが学習院初等科から大学まで陛下と同窓生だったのも、こうした家同士の縁があってこそなのかもしれませんね。
正憲さんは伏見宮邦家親王から数えて男系5世孫にあたり、さらに時代をさかのぼれば北朝第3代・崇光天皇の男系20世子孫にも位置づけられるとされています。
正憲さんの父・章憲氏はもともと三男という立場でしたが、上の2人の兄(邦寿氏・治憲氏)に後継ぎとなる子がいなかったため、正憲さんの代になって2011年に賀陽宮家の祭祀を継ぐ嫡流となり、第5代当主に就いたそうです。
さらにさかのぼると、昭和22年10月に皇籍を離れる直前の時点で、皇位継承順位のうえで賀陽宮家は伏見宮・山階宮の次に位置していたとされています。
この2つの宮家が断絶(または断絶する見通し)であることも踏まえると、賀陽宮家は数ある旧皇族の中でもとりわけ本家に近い血筋にあたる家柄と言えそうです。
当主の座は現在5代目の正憲さんが務めていますが、いずれは長男・秀憲さんか次男・孝憲さんのどちらかがこれを引き継いでいくことになりそうです。
どちらが継承するかはまだ明らかになっていませんが、由緒あるこの家柄を次の世代がどのような形で引き継いでいくのかも、気になるところですね。
これほど男系の血筋が濃いこともあって、秀憲さん・孝憲さんの2人には将来の皇籍復帰の可能性も取り沙汰されているようです。
実際に、皇族数の確保策を検討してきた政府の有識者会議では、皇籍離脱した旧宮家の男系男子を養子縁組などの形で皇族に迎える案が、選択肢のひとつとして示されたことがあります。
この案が実現するかどうかはまだ分かりませんが、賀陽宮家がその対象になり得る家柄として名前が挙がりやすいのは、こうした血筋の近さが理由のようです。
今は会社員として静かに暮らす2人ですが、家系図をひもとくとこれだけの由緒が控えていることが、注目を集める理由なのでしょう。
まとめ
今回は、旧賀陽宮家の当主・賀陽正憲さんの息子2人について調査した内容を、以下にまとめます。
- 長男・秀憲さん(1996年生)は学習院から早稲田大学政治経済学部を経て、神戸製鋼に勤務との情報
- 次男・孝憲さん(1998年生)は学習院から早稲田大学理工学部を経て、都内企業に勤務との情報(詳細は不明)
- 次男は愛子さまの結婚相手候補として報じられたことがあるが、宮内庁からの公式コメントはなし
- 父・正憲さんは陛下の学友で、宮内庁式部職や外務省デンマーク大使館勤務の経歴を持つ
- 賀陽宮家は1900年創設の旧皇族で、嫡流に近い家柄として息子2人の皇籍復帰の可能性も注目されている
お2人は一般人として静かに生活を送られているため、プライバシーに配慮しつつ、今後の続報を見守っていきたいですね。


