映画『殺人の追憶』のモデルになった韓国・華城連続殺人事件の真犯人として、2019年に特定されたイ・チュンジェ(李春在)。
義妹殺害の罪で無期懲役となり、刑務所で模範囚として服役してきたことから、イ・チュンジェの現在や釈放の可能性が気になる人も多いですよね。
今回は、イ・チュンジェのwikiプロフィールや年齢・顔、出身や生い立ち、学歴・軍隊での経歴、母親・妻・子供を含む家族構成まで調査しました。
イ・チュンジェのwikiプロフィール
イ・チュンジェは1963年1月31日生まれ、京畿道華城郡(現在の華城市)出身の受刑者です。
| 項目 | 内容 |
| 名前 | イ・チュンジェ(李春在/이춘재) |
| 生年月日 | 1963年1月31日 |
| 年齢 | 63歳(2026年10月時点) |
| 出身 | 京畿道華城郡泰安邑(現・華城市) |
| 血液型 | O型 |
| 刑罰 | 無期懲役(1995年確定) |
| 収監先 | 釜山刑務所 |
1994年に義妹を殺害した罪で無期懲役が確定し、1995年から釜山刑務所に収監されています。
2019年にDNA鑑定で華城連続殺人事件の真犯人と特定され、警察は事件名を「イ・チュンジェ連続殺人事件」に改めました。
ちなみに血液型がO型だったことは、当時の捜査で容疑者から外れた理由のひとつにもなっています。
捜査の盲点を突かれた形だったと言われていますね。
イ・チュンジェの現在は?年齢や服役状況
イ・チュンジェは現在63歳で、釜山刑務所で無期懲役囚として服役を続けているとみられます。
刑務所内では懲罰を一度も受けず、最も評価の高い「1級模範囚」に分類されてきました。
特にイ氏は普段から模範的な収容生活で1級模範囚になった状態だ。
引用元: 亜洲日報
長く作業場に出て働き、他の受刑者とも問題なく過ごしてきたと刑務所側は説明しています。
陶芸が得意で、受刑者の陶磁器展示会に自作の作品を出品したこともあったそうです。
再捜査のあとの生活
2019年12月、再捜査のために水原拘置所へ移されましたが、2020年6月に本人の希望で釜山刑務所へ戻りました。
戻った直後は独居房に収容され、他の受刑者とは接触できない状態だったと報じられています。
健康状態は良好で、本の貸し出しやテレビの視聴もできるものの、新聞は購読していなかったとのことです。
2025年11月の韓国メディアの報道でも、イ・チュンジェは服役中と伝えられていますね。
イ・チュンジェは現在も無期懲役?釈放は
イ・チュンジェは現在も無期懲役囚のままで、釈放される見込みはほぼないと伝えられています。
韓国では無期懲役でも、一定期間服役すれば仮釈放の審査を受けられる制度があります。
ただ韓国法務部の関係者は、性暴力や殺人で収監された人は仮釈放や特別赦免の対象から外れると話していました。
本人も自分が仮釈放の対象ではないと知っていたそうです。
模範的な服役態度から、一時は特別赦免の審査対象に名前が挙がったものの、選ばれなかったという報道もあります。
連続殺人で裁かれなかった理由
華城連続殺人を含む14件の殺人は、すべて公訴時効が成立していて罪に問えません。
最後の事件の遺体が見つかった1991年4月から15年後の、2006年4月2日に時効を迎えていました。
韓国ではその後の法改正で殺人罪の時効が廃止されましたが、さかのぼっての適用はされていません。
自白しても処罰されない状況に、遺族の悔しさは計り知れませんね。
イ・チュンジェ現在までの経歴と義妹事件
イ・チュンジェの経歴で、唯一刑事罰を受けた殺人が1994年の義妹殺害事件です。
1994年1月、清州市の自宅に当時19歳だった妻の妹を呼び出して殺害し、遺体を近くの資材置き場に遺棄しました。
1審・2審は死刑判決を出しましたが、大法院(最高裁)が差し戻し、最終的に無期懲役が確定しています。
実はその前にも、別の事件で一度釈放されていました。
華城育ちのイ容疑者は1989年9月、水原市の家に凶器を持って入って逮捕されたが、控訴審で執行猶予判決を受けて1990年4月に釈放された。
引用元: 中央日報
主な出来事は、次の通りになります。
| 年 | 主な出来事 |
| 1986年1月 | 軍隊を除隊 |
| 1986年〜1991年 | 華城・水原・清州で連続殺人 |
| 1989年9月 | 強盗予備の疑いで逮捕 |
| 1990年4月 | 控訴審で執行猶予となり釈放 |
| 1992年4月 | 結婚 |
| 1994年1月 | 義妹を殺害し逮捕 |
| 1995年 | 無期懲役が確定、釜山刑務所へ |
| 2019年9月 | DNA鑑定で真犯人と特定、自白 |
| 2020年7月 | 警察が殺人14件・性犯罪9件と結論 |
| 2020年11月 | 再審の法廷に証人として出廷 |
警察はこれとは別に、捜査の過程で3回もイ・チュンジェを調べていましたが、血液型や足のサイズの違いを理由に容疑者から外しています。
2020年11月には、8件目の事件で無実の罪を着せられ20年服役した尹聖汝(ユン・ソンヨ)さんの再審に証人として出廷しました。
法廷では自分が真犯人だと認め、尹さんに謝罪しています。
尹さんはその翌月に無罪を言い渡されました。
失われた時間の重さを考えさせられますね。
無実の罪で服役したユン・ソンヨさんの現在と生い立ちについては、こちらの記事で詳しくまとめています。
イ・チュンジェ現在の顔と殺人の追憶
イ・チュンジェの顔は、2019年9月に韓国メディアが入手した高校の卒業写真で初めて広く知られました。
一重まぶたで額が広く、あごが細い顔立ちが、事件当時の指名手配モンタージュとよく似ていると報じられています。
テレビでは受刑者の身分カードに貼られた写真も紹介されました。
2019年12月に警察は名前や年齢などの身元公開を決めましたが、拘置所に収監中だったため、顔の公開は難しいとしていました。
2020年の法廷出廷でも、証人という立場から撮影は許可されていません。
『殺人の追憶』とのつながり
2003年公開のポン・ジュノ監督作品『殺人の追憶』は、この華城連続殺人事件をもとにしています。
イ・チュンジェは法廷で、この映画を観たものの気にはしなかったと話していました。
映画の公開から16年たって真犯人が判明したことは、日本でも大きく報じられましたね。
イ・チュンジェ現在までの出身・学歴・軍隊
イ・チュンジェの出身は、京畿道華城郡泰安邑の農村です。
のちに連続殺人の現場となった地域で、生まれ育ちました。
生い立ちと学歴
イ・チュンジェは内向的な性格で、地元の同級生からは「おとなしかった」と記憶されています。
子供のころに弟が川でおぼれて亡くなり、その出来事で一層内向的になったようです。
家庭は家父長的な雰囲気で、本人は警察の調べに「母親が強圧的だった」と話していました。
学歴は水原市内の高校を卒業しており、2019年には卒業アルバムの写真が報道されています。
高校名は公表されていません。
軍隊での経験
イ・チュンジェは高校卒業後の1983年に軍隊へ入り、戦車を扱う機甲部隊に配属されました。
警察の面談では、自分が先頭で戦車を走らせ、後ろに他の戦車が続いたことを楽しそうに語ったそうです。
戦車の点検のために休暇を返上したこともあったと話しています。
警察は、除隊後の単調な生活への不満が犯行につながったと分析しました。
最初の犯行は、1986年1月の除隊から1か月もたたないうちに起きています。
軍隊での体験が人格に影響したという見方は興味深いですね。
イ・チュンジェの家族|母親・妻・子供
イ・チュンジェの家族構成は、報道で確認できる範囲では次の通りです。
| 続柄 | 内容 |
| 父親 | 詳細は非公表 |
| 母親 | 2019年時点で75歳、面会を続けていた |
| 兄 | 母親とともに面会に訪れていた |
| 弟 | 幼少期に川の事故で死去 |
| 元妻 | 1992年に結婚、1993年末に家を出る |
| 子供 | 息子が1人(祖母が育てた) |
| 義妹 | 元妻の妹、1994年に殺害された |
家族の名前や現在の暮らしぶりは、いずれも公表されていません。
母親
イ・チュンジェの母親は、2019年に韓国MBCの番組『実話探査隊』の取材に応じました。
「会社にも通い、軍隊にも行き、農作業も手伝ういい子だった」として、連続殺人は信じられないと語っています。
2か月に1度ほど差し入れを送り、年に2回ほど面会していたそうです。
妻と子供
判決文などによると、妻とは1992年4月に結婚し、息子が1人生まれました。
家庭内暴力に耐えかねた妻は1993年12月に家を出て、その翌月に義妹の事件が起きています。
元妻は2025年11月、韓国SBSのドキュメンタリー『怪物の時間』で31年ぶりに口を開きました。
建設会社で働いていたときに、下請け会社の社員だったイ・チュンジェと出会ったと振り返っています。
息子はイ・チュンジェの収監後、祖母である母親が引き取って育てました。
一般人である家族のプライバシーは、これからも守られてほしいですね。
まとめ
今回は、イ・チュンジェの現在の服役状況と釈放の可能性、wikiプロフィールや生い立ち、学歴・軍隊での経歴、家族構成まで調査しました。
- イ・チュンジェは1963年1月31日生まれの63歳で、京畿道華城郡の出身です。
- 1994年の義妹殺害で無期懲役が確定し、1995年から釜山刑務所で1級模範囚として服役しています。
- 性犯罪や殺人で収監されているため仮釈放の対象外とされ、釈放される見込みはほぼありません。
- 華城連続殺人など14件の殺人は2019年に自白しましたが、時効が成立していて罪には問えません。
- 水原市内の高校を卒業後、軍隊の機甲部隊で戦車に乗り、1986年1月に除隊しています。
- 家族は母親・兄・元妻・息子などで、息子は母親が育てました。家族の名前は公表されていません。
被害者の遺族や、無実の罪を着せられた人たちの苦しみを忘れずにいたいですね。

