ビートたけしさん率いるたけし軍団の一員として、『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』などで親しまれたグレート義太夫さん。
30年にわたって糖尿病との闘病を包み隠さず発信し続けてきただけに、67歳での訃報に驚いた人も多いですよね。
今回は、グレート義太夫さんの死因と、糖尿病から人工透析に至った経緯、透析がいつから始まったのか、血糖値や体重の変化まで調査しました。
グレート義太夫の死因は何?
グレート義太夫さんの死因は公表されていません。
所属事務所の株式会社TAPが2026年9月8日に発表したのは、9月7日に67歳で亡くなったという事実と、葬儀を近親者のみで執り行うという内容でした。
弊社所属タレントグレート義太夫は、2026年9月7日、満67歳をもって永眠いたしましたことを、ここに謹んでご報告申し上げます
引用元: 日刊スポーツ
報道によると、7日午後に東京・中野区の自宅マンションの階段で倒れているのが見つかり、搬送先の病院で死亡が確認されました。
目立った外傷はなかったと伝えられています。
| 項目 | 内容 |
| 逝去日 | 2026年9月7日 |
| 年齢 | 67歳(1958年12月26日生まれ) |
| 発見場所 | 東京・中野区の自宅マンションの階段 |
| 死因 | 公表されていない |
| 葬儀 | 近親者のみで執り行う予定 |
亡くなる当日の朝にもブログを更新し、天気の話題をつづっていました。
10月4日にはイベント「寄席道楽」への出演も控えていて、直前まで舞台に立つ予定だったことがわかります。
長く病と向き合いながら、最後まで高座を目指していた姿が印象に残りますね。
グレート義太夫の病気は糖尿病と腎不全
グレート義太夫さんが公表していた病気は、糖尿病と、その合併症である糖尿病性腎症・末期腎不全です。
さらに2024年には心筋梗塞でも倒れ、複数の病を抱えながら活動を続けていました。
糖尿病と診断されたのは1995年、36歳のときです。
父親も糖尿病がきっかけで亡くなっており、その1年後に自身の発症が判明しました。
| 年 | 主な出来事 |
| 1995年 | 36歳で糖尿病と診断され、教育入院 |
| 2007年 | 糖尿病性腎症による末期腎不全で人工透析を開始 |
| 2009年 | 闘病記『糖尿だよ、おっ母さん!』を出版 |
| 2024年8月 | 心筋梗塞で倒れ、10時間に及ぶ手術 |
| 2026年7月 | 鎖骨下静脈拡張の手術のため入院 |
心筋梗塞は、透析中に上の血圧が70台まで下がって緊急搬送されたことがきっかけでした。
太ももの血管を使った冠動脈バイパス術を受け、40日間の臥床でリハビリが必要になったと語っています。
亡くなる直前の時期も体調は万全ではなく、2026年8月のブログでは足腰や左肩の痛みを訴え、「身体がどんどんボロボロになって行く…(泣)」とつづっていました。
それでも寄席に立ち続けていたのですから、驚かされますよね。
グレート義太夫の透析はいつから?
グレート義太夫さんが人工透析を始めたのは2007年、48歳のときです。
仕事中に意識を失って救急搬送され、腎機能の指標であるクレアチニン値が11mg/dL台まで悪化していました。
正常値がおよそ1.0mg/dL前後とされる中での数値で、そのまま脚の付け根にカテーテルを入れて緊急で透析が始まったといいます。
以後およそ19年にわたり、週3回・1回4〜5時間、合計で週15時間ほどの血液透析を受け続けてきました。
きっかけになったのは、自己判断による通院の中断です。
糖尿病は痛みなどの自覚症状が乏しく、調子が良いと感じた時期に薬やインスリン注射をやめてしまったことを、本人が最大の反省点として繰り返し語っていました。
透析に欠かせないシャントも順調ではなく、1本目は3カ月で詰まり、その後は右腕の2本目を使っていたそうです。
2026年7月の鎖骨下静脈拡張手術も、この血管まわりのトラブルを広げるためのものでした。
透析中のベッドで漫談のネタを考えていたという話も、義太夫さんらしいエピソードですね。
グレート義太夫に切断の情報は?
グレート義太夫さんが手や足を切断したという発表はありません。
糖尿病の合併症では神経障害や血流障害から壊疽が起こり、切断に至るケースがあるため、闘病の情報とあわせて語られることがあるようです。
義太夫さんが実際に受けたと公表していたのは、シャント造設や鎖骨下静脈拡張、冠動脈バイパス術といった手術でした。
晩年は左股関節や腰の痛みで歩きづらい状態を明かしていましたが、切断についての言及は見当たりません。
なお、糖尿病の啓発イベントで義太夫さんと同席した元プロ野球選手の佐野慈紀さんは、2024年に合併症で右腕を切断したことを公表しています。
指先の小さな傷から感染が広がったと語っており、この話が混ざって伝わっている面もありそうです。
同じ病と向き合う人たちに向けて発信を続けた点でも、二人は共通していますね。
グレート義太夫の血糖値と体重の変化
グレート義太夫さんが最初に倒れたときの血糖値は、630mg/dLでした。
正常値は110mg/dL未満とされ、医師からは昏睡状態でもおかしくない数値だと告げられています。
そのときの血糖値が630 (mg/dL) でした。先生には「こうやって話しているのが信じられない、普通だったら高血糖で昏睡状態ですよ」と言われました。
引用元: 糖尿病サイト
体重の変化も見逃せないサインでした。
当時の事務所が公称していた体重は110kgでしたが、実際に体重計に乗ると95kgしかなかったといいます。
普通に食事をして運動もしていないのに減っていたため、本人は夏バテだと思い込んでいました。
ほかにも喉の渇きやトイレの近さ、テレビの字幕がかすんで読めないといった症状が出ていたそうです。
近年はさらに痩せた姿がSNSで公開され、心配する声が寄せられていました。
透析導入後は1日の総摂取カロリーを2000kcalまでに抑え、清涼飲料や間食を控えることで、透析の間の体重増加をコントロールしていたと明かしています。
自身の数値まで公開して警鐘を鳴らし続けた姿勢は、多くの患者の支えになっていたようですね。
闘病の裏で支えたグレート義太夫さんの嫁との結婚や子供・家族構成についても、こちらの記事でまとめています。
まとめ
今回は、グレート義太夫さんの死因と、糖尿病から末期腎不全に至った病気の経緯、透析がいつから始まったのか、血糖値や体重の変化まで調査しました。
- グレート義太夫さんは2026年9月7日に67歳で亡くなり、所属事務所が翌8日に発表しました。死因は公表されていません。
- 東京・中野区の自宅マンションの階段で倒れているのが見つかり、搬送先の病院で死亡が確認されました。目立った外傷はなかったと伝えられています。
- 病気は1995年に診断された糖尿病と、その合併症である糖尿病性腎症・末期腎不全です。2024年には心筋梗塞でも10時間の手術を受けました。
- 人工透析は2007年に開始し、週3回・合計で週15時間ほどの治療を約19年間続けてきました。
- 診断時の血糖値は630mg/dLで、公称110kgだった体重は95kgまで落ちていたと明かしています。
- 手足の切断については発表がなく、公表されていたのはシャント造設や鎖骨下静脈拡張などの手術でした。
自らの数値も透析中の姿も包み隠さず伝え、同じ病を抱える人の背中を押し続けた30年でした。
心よりご冥福をお祈りします。

