宝塚歌劇団の元星組・花組トップスターで、『ベルサイユのばら』のオスカル役で第1期ベルばらブームを築いた安奈淳さん。
70代後半を迎えてなお年20本ほどのコンサートで歌い続けていて、その私生活や家族が気になる人も増えていますよね。
今回は、安奈淳さんの結婚相手や夫との別れ、子供の有無に加えて、両親と妹の家族構成から大阪の実家での生い立ちまでを調査しました。
安奈淳の結婚相手は誰?
安奈淳さんの結婚相手は、芸能界とは関係のない一般男性です。
名前や職業、出会いのきっかけは公表されていません。
結婚したのは35歳の頃で、1978年に宝塚歌劇団を退団してから数年後のことでした。
当時は東宝演劇部に所属し、帝国劇場の大作舞台やテレビドラマで活躍していた時期です。
35歳の時に一般男性と結婚したが、3年後に離婚している。
引用元: Wikipedia
結婚生活について本人が語った記録はほとんど残っていません。
相手が一般の方であることから、詳細は明かさない姿勢を通してきたようです。
再婚したという発表もなく、現在に至るまで一度きりの結婚だったことになります。
華やかな舞台とは対照的に、私生活は静かに守り続けてきたのですね。
安奈淳が夫と離婚した時期は?
安奈淳さんが夫と離婚したのは38歳の頃で、結婚から3年後でした。
時期としては1980年代半ばにあたります。
離婚の理由は公表されていません。
ただ、この時期の安奈淳さんは病との闘いが続いていて、体調が生活を大きく左右する状況にありました。
宝塚を退団した31歳の直後にC型肝炎を発症し、黄疸が出た状態で舞台に立ち続けています。
医師から全責任は患者にあると一筆書かされたうえでの出演でした。
そして37歳のとき、突然の激痛でベッドから転げ落ち、救急車で運ばれて髄膜炎と判明します。
——C型肝炎で入院された直後に、まだ58歳の若さだったお母様を亡くされました。また、ご自身は35歳で結婚され、髄膜炎の翌年に38歳で離婚。その後、改名もされていますね。
引用元: 文春オンライン
離婚の翌年から数年の間には、姓名判断をもとに芸名を安南潤へ改める時期もありました。
1998年には元の安奈淳へ戻しています。
その後、53歳で全身性エリテマトーデスを発症し、余命3日と告げられるほどの状態から復活しました。
病を重ねながらも舞台に立ち続けた30代だったことがわかりますね。
安奈淳に子供はいる?
安奈淳さんに子供がいるという発表はありません。
3年間の結婚生活で子供を授かったという情報も出ていないようです。
インタビューで語られてきたのは、両親や妹、そして宝塚時代の仲間との関わりが中心です。
子育てや家庭に関するエピソードは見当たりません。
現在の暮らしについては、ものを最低限しか持たないシンプルな生活を続けていると語っています。
食事は野菜中心の和食を自分で作り、毎日の掃除がストレス発散法だそうです。
仕事は個人事務所のマネージャーとの二人三脚で回していて、SNSの更新も手を借りながら続けています。
血のつながりとは別の形で、支えてくれる人に恵まれてきた人生のようですね。
安奈淳の家族構成は?
安奈淳さんの家族構成は、サラリーマンの父と母、2つ下の妹を含めた4人家族です。
| 続柄 | 分かっていること |
| 父 | 会社勤め。ジャズが好きで97歳で死去 |
| 母 | 1978年に58歳で死去。手縫いの服を作ってくれた |
| 妹 | 2歳下。父に似て体質が丈夫 |
| 本人 | 1947年生まれ。35歳で結婚し38歳で離婚 |
両親はそろって宝塚の大ファンで、月に1度は家族で公演に足を運んでいました。
宝塚音楽学校への道を強く後押ししたのは、娘をタカラジェンヌにしたいという父の思いでした。
母は安奈淳さんが宝塚を退団する直前に、58歳で亡くなっています。
病名がわからないまま苦しんだ末の死で、症状は後に本人が発症した膠原病とよく似ていたそうです。
「正直言って、ここまで生きてるとは思いませんでした。同じ病気で母が58(歳)で亡くなってますので。母の分まで生きなくちゃと思ってます」
引用元: 東スポWEB
母が亡くなったとき、安奈淳さんは公演のため駆けつけられませんでした。
代わりに実家へ向かったのが、宝塚で2期上の先輩・榛名由梨さんです。
榛名由梨さんは葬儀の準備を取り仕切り、母に死化粧までしてくれたといいます。
棺がエレベーターに入らず、抱きかかえて運んでくれたことを妹が一生忘れないと話していたそうです。
父は97歳という長寿でこの世を去りました。
母のことを家族で話せるようになるまで、妹と父と3人で4年かかったと涙ながらに明かしています。
家族の話をするときの言葉が今も重いのは、それだけ深く抱えてきたからなのでしょうね。
安奈淳の実家はどこ?
安奈淳さんの実家は大阪府箕面市の桜井で、17歳までこの家で過ごしました。
出身地は箕面市とする説と池田市とする説の2つがあります。
| 項目 | 内容 |
| 本名 | 富岡 美樹(とみおか みき) |
| 生年月日 | 1947年7月29日 |
| 出身地 | 大阪府箕面市(池田市の説もあり) |
| 身長 | 164cm |
| 血液型 | B型 |
| 学歴 | 梅花中学校卒業/宝塚音楽学校 |
| 愛称 | オトミ、ミキ |
| 事務所 | Office Anna Jun |
幼い頃はおとなしい性格で、家で絵を描いたり『少年少女世界文学全集』を読んだりして過ごしていたそうです。
10歳くらいまで洋服はすべて母の手作りでした。
実家にはいつもジャズのレコードが流れていました。
父の趣味で、ドリス・デイやジュリー・ロンドン、レナ・ホーンといった歌手の声を自然に浴びて育ったといいます。
ナット・キング・コールの来日公演には両親と大阪のフェスティバルホールへ出かけました。
中学1年でプラターズの公演に行った際は、ロビーでスカウトされて舞台で花束を渡す役を務めています。
親の勧めで小学校高学年から宝塚コドモアテネへ通い、バレエや声楽、日本舞踊を習い始めました。
中学ではレッスンが忙しく、修学旅行や卒業式にも出られないほどだったそうです。
1963年に梅花中学校を卒業して宝塚音楽学校へ入学し、1965年に51期生として宝塚歌劇団へ入団します。
| 年 | 主な出来事 |
| 1965年 | 宝塚歌劇団に入団し雪組へ配属 |
| 1970年 | 鳳蘭とともに星組男役ダブルトップに |
| 1974年 | 花組トップスターに就任 |
| 1975年 | 『ベルサイユのばら』でオスカルを演じる |
| 1978年 | 『風と共に去りぬ』を最後に退団 |
| 2014年 | 宝塚歌劇の殿堂に殿堂入り |
家族で観に行った宝塚の舞台では、スターが銀橋を通るときのお化粧の香りが忘れられない記憶になっていると語っています。
実家で過ごした17年が、そのまま今の歌の土台になっているようですね。
まとめ
今回は、安奈淳さんの結婚相手や夫との離婚、子供の有無に加えて、両親と妹の家族構成や大阪の実家での生い立ちまで調査しました。
- 安奈淳さんの結婚相手は芸能界とは関係のない一般男性で、名前や職業は公表されていません。
- 結婚したのは35歳のときで、3年後の38歳で離婚しています。その後の再婚の発表はありません。
- 離婚の理由は明かされていませんが、31歳でC型肝炎、37歳で髄膜炎を発症し、体調と闘いながら舞台に立ち続けた時期にあたります。
- 子供がいるという発表はなく、現在はものを最低限しか持たないシンプルな暮らしを続けています。
- 家族構成はサラリーマンの父と母、2つ下の妹の4人家族です。母は58歳で、父は97歳で亡くなっています。
- 実家は大阪府箕面市桜井で17歳まで過ごし、宝塚ファンだった両親の後押しで宝塚音楽学校へ進みました。
余命3日と告げられた大病を越えて、今も年20本のステージに立ち続ける歌声は本当に貴重ですね。
卒寿まで歌うという目標に向かう姿を、これからも見守りたいところです。
