エッセイスト・タレントの阿川佐和子さん。
ポンポンと歯切れのいいしゃべりと、相手の懐にすっと入っていく聞き上手ぶりは、デビューの頃から変わっていません。
今回は、阿川佐和子さんの若い頃のかわいいと言われていた姿を、慶應時代からTBS『朝のホットライン』から『NEWS23』キャスター時代まで時系列で調査しました。
阿川佐和子のwikiプロフィール
阿川佐和子さんは1953年11月1日生まれ、東京都出身のエッセイスト・小説家・タレントです。
作家・阿川弘之さんの長女として生まれた、いわゆる文学者の家庭で育った人ですね。
| 項目 | 内容 |
| 名前 | 阿川 佐和子(あがわ さわこ) |
| 生年月日 | 1953年11月1日 |
| 年齢 | 72歳(2026年8月時点) |
| 出身地 | 東京都 |
| 血液型 | O型 |
| 身長 | 150cm(2024年時点では自称146cm) |
| 学歴 | 慶應義塾大学文学部西洋史学科卒業 |
| 職業 | エッセイスト・小説家・タレント |
| デビュー | 1981年 |
| 父 | 阿川弘之(作家) |
| 兄 | 阿川尚之 |
「佐和子」という名前は父の弘之さんが名づけたもので、青山霊園の飛び地にあった墓石の文字から取られたという、なかなか変わったエピソードが本人によって明かされています。
兄の尚之さんの名前も同じ墓石からの拝借だったそうです。
生まれは東京ですが、2〜3歳の1年間は広島市の伯母の家で育ち、その後は中野区鷺宮、新宿区四谷へと移り住んでいます。
ちなみに新幹線「のぞみ」の名づけ親としても知られていて、名称決定委員を務めた際に、父からの「国鉄の列車名は大和言葉」という助言をもとに提案したのが採用されたそうです。
意外な形で日本中に名前が残っているのが面白いですよね。
阿川佐和子の若い頃がかわいい!
阿川佐和子さんの若い頃は、報道番組のキャスターとして知的な雰囲気をまとった姿で知られていました。
ショートヘアで硬派なニュース番組に座る姿から、当時を振り返って「かわいい」「美人」と評する声がネット上でも見られます。
阿川佐和子絶対若い頃美人だったろうなって思って調べたら案の定美人だった pic.twitter.com/0cpFir0p9Q
— まさぴー (@masap714) October 15, 2017
若い頃の印象を決めたのは、やはりテレビでの立ち位置でしょう。
20代の終わりから30代を通じて、『情報デスクToday』『筑紫哲也NEWS23』『報道特集』と硬派な報道番組に出演し続けたため、長らく「報道キャスター」のイメージが定着していました。
こんにちは( ´ ▽ ` )ノ
— ネタウヨ (@netauyo2) October 6, 2023
誰だかわかりますか? pic.twitter.com/jL8eqoEOTu
バラエティで見せる軽妙なツッコミが世に知られるのは、1998年の『ビートたけしのTVタックル』以降のことです。
ただ、当時の本人の自己評価はかなり控えめでした。
政治も経済もわからないまま報道番組に入り、怖いボスに怒鳴られてびーびー泣く毎日だったと語っています。
華やかに見えた画面の裏側は、そんな状態だったようですね。
本人が公開した若い頃の写真
本人が公開している若い頃の写真としては、初めてのテレビの仕事となったフランス取材当時のものがあります。
旅の月刊誌『ひととき』2021年10月号のインタビュー「わたしの20代」に掲載されたもので、版元の公式noteでも本文とあわせて読むことができます。
私はフランスを3週間取材し、朝の生放送番組でレポートすることになりました
引用元: ひととき
「初めてづくしのフランス取材も、周囲のサポートで乗り切った!」というキャプションが添えられた1枚で、写真はこちらのページで見られます。
当時を知る人にとっては貴重な一枚なのかもしれませんね。
阿川佐和子の若い頃の学歴〜慶應時代〜
阿川佐和子さんの最終学歴は、慶應義塾大学文学部西洋史学科です。
1976年3月に卒業しています。
そこまでの経路は、中野区立若宮小学校から新宿区立四谷第六小学校へ移り、東洋英和女学院中学部・高等部を経て慶應義塾大学へ進むという流れでした。
中高6年間を女子校で過ごした後、大学で共学に進んだ形ですね。
なお同じ時期に同じ慶應義塾大学文学部に在籍していた檀ふみさんとは、父親同士が有名作家という共通点もあり、以後長く親交が続いて共著も数多く出しています。
大学卒業当時はオイルショック後の就職難の時期で、就職はせず、結婚後も続けられる仕事として織物作家を目指していました。
だったら、どうせ3、4年も経てば、どなたかと結婚するんだろうと高をくくってましたから、お見合いに励みつつ、結婚後も続けられる仕事として織物作家を目指してたんです。
引用元: CREA
在学後のアルバイトで長く続いたのは慶應幼稚舎の図書室で、週3回の勤務を5年間続けたそうです。
蔵書の整理から始まり、得意な編み物を子どもたちに教える「編み物教室」まで開くことになったというのですから、ずいぶん変わった立ち位置だったのでしょうね。
阿川佐和子の若い頃の経歴〜キャスター時代〜
阿川佐和子さんのテレビデビューは1981年、27歳のときにTBS『朝のホットライン』のリポーターを務めたことがきっかけです。
テレビの世界に憧れて飛び込んだわけではなく、まったくの偶然からの入口でした。
朝のホットラインのリポーター時代
きっかけは、父・阿川弘之さんと一緒に出た雑誌の記事を見たTBSのプロデューサーからの電話でした。
依頼内容はフランスを3週間取材し、朝の生放送番組でレポートするというもの。
テレビの仕事への野心はなく、友人への祝儀や編み物の糸代を稼ぐ「割のいいバイト」という感覚だったと本人が振り返っています。
反対されると思った父の反応が「その時季のフランスは牡蠣が美味いぞ」だったというのも、なんとも印象的な話です。
NEWS23キャスター時代
その後は同じプロデューサーの縁で、1983年10月から1989年9月まで『情報デスクToday』のアシスタントキャスターを担当。
続く1989年10月から1991年9月までが『筑紫哲也NEWS23』のアシスタントキャスターです。
『NEWS23』を離れた1992年2月末から翌年2月末まではアメリカ・ワシントンD.C.へ遊学し、スミソニアン博物館でボランティア活動も経験しました。
帰国後は1993年4月から1994年9月まで『報道特集』のキャスターを務め、同じ1993年には『週刊文春』で対談連載「阿川佐和子のこの人に会いたい」がスタート。
30代から40代にかけて、報道と文筆の両輪が固まっていった時期といえますね。
なお、明石家さんまさん主演の『男女7人夏物語』で出演者候補に挙がっていたものの、事務所が本人に無断で断ってしまったという逸話も残っています。
実現していれば、まったく違うキャリアになっていたかもしれませんね。
阿川佐和子の現在は?
阿川佐和子さんの現在は、エッセイスト・作家としての執筆を軸に、テレビ出演も続けています。
2026年5月20日には文春新書から『年とる力』を刊行し、前年の2025年5月にも新作エッセイ集『だいたいしあわせ』を発売するなど、刊行ペースは落ちていません。
テレビでは1998年から続く『ビートたけしのTVタックル』にレギュラー出演を継続中です。
2011年から10年続いた自身の冠番組『サワコの朝』は2021年3月に終了しましたが、その後もトーク番組へのゲスト出演は多く、2026年も『上田と女が吠える夜』などに登場しています。
私生活では、2017年に結婚しています。
作家でエッセイストの阿川佐和子さん(63)が9日に結婚したことを17日、明らかにした。相手は69歳の元大学教授。
引用元: 日刊スポーツ
▽阿川佐和子さんの夫については、こちらの記事で詳しくまとめています。
長く独身だったことから「結婚できないキャラ」として語られてきましたが、認知症だった母の介護に協力してくれた相手と家族になるほうが現実的だった、という経緯を後に明かしています。
お相手は一般の方のため、氏名などの詳細は公表されていません。
このほか2015年には博物館明治村の4代目村長に就任し、初の女性村長となりました。
『聞く力』は2012年の年間ベストセラー総合1位を記録し、2014年には菊池寛賞も受賞。
72歳になった今も新しい肩書きと仕事が増え続けているのは、なかなかまねのできないことですよね。
まとめ
阿川佐和子さんの若い頃は、慶應義塾大学文学部西洋史学科を1976年に卒業した後、就職せず織物作家を目指しながらお見合いを重ねるという、テレビとは無縁の日々でした。
転機となったのは1981年、27歳でのTBS『朝のホットライン』のリポーター起用で、そこから『情報デスクToday』『筑紫哲也NEWS23』『報道特集』とキャスターの道を歩みます。
硬派な報道番組に座る姿が「かわいい」「美人」と語られるのも、この時期の印象が強いからでしょう。
現在は『年とる力』などの著作とテレビ出演を並行し、72歳とは思えない活動量を保っています。
これからも軽やかな語り口で新しい話を届けてくれそうで、楽しみですね。

