2025年のKing’s Cup世界選手権で、日本にセパタクローが伝わって初となる金メダルへチームを導いた男子日本代表監督の寺島武志さん。
現役時代もタイのプロリーグで唯一の日本人選手として戦い、アジア大会でメダルを重ねてきた人物なので、wikiに載っているような学歴や経歴が気になる人も多いですよね。
今回は、寺島武志さんのwikiプロフィールとあわせて、高校・大学の学歴の中身、嫁や子供を含む家族構成、父親と実家まで調査しました。
寺島武志のwikiプロフィール
寺島武志さんは、1982年生まれで東京都足立区出身の元セパタクロー日本代表アタッカーです。
現在はセパタクロー男子日本代表の監督を務めています。
| 項目 | 内容 |
| 名前 | 寺島武志(てらしま たけし) |
| 生年月日 | 1982年11月4日 |
| 出身地 | 東京都足立区(奈良県天理市生まれ) |
| 身長 | 167cm |
| 現役時代のポジション | アタッカー |
| 所属 | 阪神酒販Dee’s TC |
| 現在の肩書き | セパタクロー男子日本代表監督 |
生まれは奈良県天理市で、育ったのは東京都足立区の西新井です。
アタッカーとしては小柄な167cmながら、21年ほど日本代表として活動してきました。
現役時代は仕事と競技を両立しながら、2011年から2017年までタイのプロリーグに参戦していたのも大きな特徴ですね。
選手を引退した後も、アスリート向けジムを運営する株式会社DAHのマネージャーや、国内リーグ「ES LEAGUE」の代表理事として競技に関わっています。
セパタクロー一筋の人生を送っている方なのが伝わってきますね。
寺島武志のwiki学歴|高校と大学は?
寺島武志さんの最終学歴は、日本体育大学です。
出身高校の学校名は公表されていませんが、高校時代はサッカーの名門クラブ・三菱養和SCのユースに所属していました。
高校まではサッカー漬け
寺島武志さんがサッカーを始めたのは小学3年生のころで、最初は地元・足立区のチームに入っていました。
小学5年生で三菱養和のスクールから選抜チームに入り、ジュニアユースへ昇格しています。
中学3年のときには、チームが高円宮杯全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会で日本一に輝きました。
ただ、中学2年ごろから試合に出る機会が減り、ユースに上がったあと高校時代に一度サッカーから離れています。
大学でセパタクローに出会う
寺島武志さんは日本体育大学に入学後、もう一度サッカーをやろうとサッカー部に入部しました。
当時の日体大サッカー部は部員が350人もいて、一度離れていた寺島さんはほぼ一番下からのスタートだったそうです。
三菱養和という名門クラブでやっていた自分にとっては、その当時与えられた環境をギャップに感じてしまった。
引用元: 高校サッカードットコム
そんな時期に顔を出したのが、大学のセパタクローサークルでした。
オーバーヘッドキックのようなアタックを当たり前に決め、しっかり着地する選手の姿に衝撃を受けたと振り返っています。
大学1年の途中で転向し、わずか半年ほどで日本代表の遠征メンバーに選ばれたのですから驚きですよね。
寺島武志のwiki経歴|セパタクロー
寺島武志さんのセパタクローでの経歴は、大学1年から約22年の現役生活と、その後の日本代表監督としての活動に分かれます。
主な実績を年ごとにまとめました。
| 年 | 主な出来事 |
| 2001年 | 日本体育大学でセパタクローに転向 |
| 2002年 | JOCジュニアオリンピックカップ優勝・MVP |
| 2004年 | 学生選手権大会・学生オープン選手権大会で優勝 |
| 2005年 | 世界選手権チーム戦で銅メダル |
| 2006年 | アジア競技大会に初出場 |
| 2010年 | アジア競技大会チーム戦・ダブルスで銅メダル |
| 2011〜2017年 | タイのプロリーグに7シーズン参戦 |
| 2014年 | アジア競技大会ダブルスで銅メダル |
| 2018年 | アジア競技大会クワッドで銀、団体ダブルスで銅 |
| 引退後 | セパタクロー男子日本代表監督に就任 |
アジア大会には4大会連続で出場し、銀メダル1つと銅メダル4つを手にしています。
国内でも全日本選手権や全日本オープン選手権で何度も優勝してきました。
タイのプロリーグで唯一の日本人選手
寺島武志さんは2011年から毎年、セパタクローの本場タイのプロリーグに挑んでいました。
所属したのはチョンブリ、ガラシン、マハーサラカーム、コンケーンの4チームです。
日本では阪神酒販で正社員として働きながら、会社の理解を得てシーズンの半分ほどをタイで過ごしていたそうです。
タイ語も日本で勉強し、現地で覚えて日常会話をこなせるまでになったといいます。
監督として世界一へ
寺島武志さんは2019年に膝の大けがを負いながらも復帰を果たし、その後現役に区切りをつけて男子日本代表の監督に就任しました。
監督としての大きな実績が、2025年の世界選手権での金メダルです。
2025年7月「第38回King’s Cup世界選手権大会」でクワッド種目金メダルを獲得。これは日本にセパタクローが伝わって36年目にして初の出来事だった。
引用元: 情熱大陸(MBS)
ちなみに2003年から2005年までは、インディーズバンド「UNLIMITS」のギタリストとしても活動していました。
選手としても監督としても、日本のセパタクローの歴史を塗り替えてきた方ですね。
寺島武志のwiki|嫁と子供の家族構成
寺島武志さんは2017年に結婚していて、嫁と子供がいる家族構成です。
嫁は一般の方のため、名前や年齢、職業などは公表されていません。
2019年のインタビュー記事では、結婚と子供の誕生について次のように紹介されていました。
寺島は2017年に結婚し、子供も授かった。自宅を引越しすることも検討している。
引用元: OCEANS
子供の人数や性別、名前も公表されていません。
当時は朝5時半に家を出て夕方まで仕事をし、そのあと練習して帰宅は23時過ぎという生活だったそうです。
寝ている嫁と幼い子供の顔を見てホッとしてから眠りにつく、という日々だったといいます。
子供が小さいことを理由に、タイのプロリーグへの挑戦を続けるか考えていると話していたこともありました。
「結婚して子供も生まれて、マイカーもマイホームも持って、それなりに生活している姿を見せたい」と、後輩たちへの思いも語っています。
家族の存在が、競技を続ける大きな支えになっていたのかもしれませんね。
寺島武志のwiki|父親と実家は?
寺島武志さんの父親については、名前や職業などは公表されていません。
実家についても、東京都足立区の西新井で育ったこと以外は明かされていないようです。
生まれは奈良県天理市で、その後足立区に移り住んだとみられます。
小学生のころから地元・足立区のサッカーチームに入り、三菱養和SCに通っていたことから、少年時代は足立区の実家を拠点にサッカーに打ち込んでいたようですね。
兄弟がいるかどうかも、今のところ確認できませんでした。
一般の家族を表に出さない姿勢からも、家族を大切にしている様子が伝わってきますね。
まとめ
今回は、寺島武志さんのwikiプロフィールとあわせて、高校・大学の学歴やセパタクローの経歴、嫁・子供の家族構成、父親と実家まで調査しました。
- 寺島武志さんは1982年11月4日生まれ、東京都足立区出身です。現在はセパタクロー男子日本代表の監督を務めています。
- 高校時代は三菱養和SCのユースでサッカーをしていました。出身高校の学校名は公表されていません。
- 大学は日本体育大学です。1年の途中でセパタクローに転向し、約半年で日本代表に選ばれました。
- 現役時代はタイのプロリーグに7シーズン参戦し、アジア大会で銀1つ・銅4つのメダルを獲得しました。
- 2017年に結婚し、子供がいます。嫁や子供の名前などは公表されていません。
- 父親や実家の詳しい情報は明かされていません。
監督として世界一をつかんだ寺島武志さんが、これから日本のセパタクローをどこまで押し上げていくのか楽しみですね。
