ハーバード大学を卒業し、お笑いコンビ「パックンマックン」のパックンとして日本で30年以上活躍するパトリック・ハーランさん。
インテリ芸人のイメージが強いパックンさんの生い立ちには、実家が貧乏だった少年時代があり、驚いた人も多いですよね。
今回は、パックンさんの両親の離婚理由や父親・母親の現在、兄弟を含めた家族構成について調査しました。
パックンの生い立ちは?実家は貧乏
パックンさんの生い立ちは、母子家庭で生活保護を受けた時期もある貧しいものでした。
アメリカ・モンタナ州で生まれ、父親の転勤でアラバマ州やイリノイ州を経て、コロラド州に移っています。
両親の離婚をきっかけに暮らしは一気に苦しくなりました。
パックンことパトリック・ハーランさんはそこから勉強に打ち込み、ハーバード大学へ進んでいます。
基本的なプロフィールは次のとおりです。
| 項目 | 内容 |
| 本名 | パトリック・レイモンド・ハーラン |
| 生年月日 | 1970年11月14日 |
| 出生地 | アメリカ・モンタナ州 |
| 育った場所 | コロラド州コロラドスプリングス |
| 最終学歴 | ハーバード大学(比較宗教学専攻) |
| 来日 | 1993年(福井県で英会話講師) |
| コンビ | パックンマックン(相方はマックン) |
コロラドスプリングスが、パックンさんが少年時代を過ごした実家のある町です。
貧しさを味わったのも、この町での日々でした。
実家が貧乏になったきっかけ
実家が貧乏になったのは、両親の離婚と母親のリストラが重なったためです。
父親からの養育費があった頃は、まだ何とか暮らせていたそうです。
ところがパックンさんが11歳のとき、姉が父親に引き取られます。
それを境に、養育費が一方的に止められてしまいました。
父が「1人はこちらに引き取ったのだから」と、母に支払う養育費を一方的に止めてしまったのです。
引用元: めざましmedia
ここから母子2人の、ぎりぎりの生活が始まりました。
貧乏だった実家の暮らしぶり
食卓に本物の牛乳が並ぶことはなく、いつも脱脂粉乳だったそうです。
肉はパサパサした七面鳥のひき肉が中心で、たまに買えるチキンがごちそうでした。
空腹で体調を崩した日に、保健室の先生がくれた牛乳とクッキーは今も忘れられないと話しています。
テレビは人からもらったお古で、鉛筆も学校で拾ったものを使っていたといいます。
いちばんつらい記憶として語っているのが、スーパーでの出来事です。
生活保護のフードスタンプで飼い犬のドッグフードを買おうとして、断られてしまいました。
母親はレジで言い争いになり、最後は泣き出してしまったそうです。
10歳から8年間の新聞配達
パックンさんは10歳の誕生日の翌日から新聞配達を始め、高校卒業まで8年間続けました。
配達先は中学時代で125軒、高校時代には最大440軒ほどに増えています。
16歳で免許を取ってからは16万円の中古車を買い、朝3時半ごろに起きて配っていたそうです。
授業の前には、高校の廊下で仮眠をとっていました。
それでも、近所の家族がよく夕飯を食べさせてくれるなど、周りに助けられていたといいます。
中学時代からは「オールAなら好きなものを食べさせる」という母親との約束を励みに、成績はずっとオールAでした。

440軒もの新聞を毎朝配りながらオールAとは、本当に頭が下がりますね。
ハーバード大学に進むまでのパックンさんの学歴については、こちらの記事で詳しくまとめています。
パックンの両親の離婚理由は?
パックンさんの両親が離婚した理由は、父親の仕事による極度のストレスにあったと本人が明かしています。
父親は空軍に勤務し、ベトナム戦争の頃は核ミサイルの発射指令を待つ任務に就いていました。
プレッシャーを抱えた父親は休日を寝て過ごすことが多く、育児に追われる母親を気遣う余裕はなかったそうです。
父親が空軍アカデミーの教官になり、一家でコロラドに移った頃に、夫婦関係は限界を迎えました。
パトリック・ハーランさんが離婚したときの年齢は7歳とされています。(8歳と話しているインタビューもあります。)
両親は子どもたちを前に座らせ、「親であることは変わらないし、ずっと愛している」と伝えたそうです。
悲しさや不安を感じながらも、「お母さんを支えなくちゃ」と思ったと振り返っています。
離婚後は母親が姉とパックンさんを引き取り、犬のポピーと一緒に暮らし始めました。
パックンの生い立ちと父親の仕事
パックンさんの父親は、アメリカ空軍の元士官です。
パックンさんの生まれたモンタナ州から各地へ移ったのも、父親の転勤によるものでした。
コロラドに移ってからは、空軍アカデミーの教官を務めています。
父親の名前や現在の様子については明かされていません。
父親はアマチュアの演出家として演劇にも関わっていました。
パックンさんが役者を志したのは、この父親の影響だといいます。
福井県のアマチュア劇団で活動したのも、その延長線上にあります。
父親は5人兄弟で、父方の祖母は11人兄弟だったそうです。
パトリック・ハーランさんは少子化をめぐる発言の中で、この大家族の話を明かしています。
離婚後は養育費の件で苦労させられましたが、役者を目指すきっかけをくれたのも父親でした。
パックンの母親の現在は?
パックンさんの母親は再婚し、現在はアメリカのリタイアメントホームで暮らしています。
2021年のインタビューで、パックンさん本人が明かしました。
お母さんは再婚して、今は老後のコミュニティー、リタイアメントホームで暮らしています。僕の活躍をすごく喜んでるけど、ひとり息子が遠くにいて、さみしいのは間違いない。
引用元: 週刊女性PRIME
パトリック・ハーランさんは自分が親になって初めて母の愛情の深さに気づき、電話で「ごめんね」と謝ったそうです。
母親の仕事と経歴
母親は離婚後、出版社の校閲や保険の外交員をして家計を支えました。
リストラに遭ってからは、就職と失業を何度も繰り返していたそうです。
その後、大学院で教育の修士号を取り、小学校の先生になってから暮らしはようやく安定しました。
校閲の仕事をしていただけあって、パックンさんのレポートもよく添削してくれたといいます。
夜中に小切手帳を見て泣く母親をハグして励ましていたことも、本人が明かしています。
母親の交通事故と投資
パックンさんが17歳の夏、母親は交通事故に遭い、顔や両膝、背中に大けがをして入院しました。
事故が起きたのは、数学キャンプに参加するパックンさんに代わって新聞配達をしていたときです。
知らせを受けて車でコロラドに戻ったパックンさんは、強い罪悪感を覚えたそうです。
投資を嫌っていた母親が投資を始めたのも、この事故がきっかけでした。
この経験が、投資歴30年以上というパックンさんのお金への考え方の原点になっています。

母の事故をきっかけに母子で投資を始めたというのは、とても意外なつながりですね。
パックンの家族構成と兄弟
パックンさんの実家の家族構成は、父親・母親・姉・弟です。
2歳上の姉とは離婚後もしばらく一緒に暮らしていましたが、11歳のときに姉は父親のもとへ移りました。
弟はアメリカで警察官をしています。
| 続柄 | 内容 |
| 父親 | アメリカ空軍の元士官で、アマチュア演出家 |
| 母親 | 元小学校教師。再婚してリタイアメントホームで暮らす |
| 姉 | 2歳上。11歳のときに父親のもとへ |
| 弟 | アメリカで警察官 |
| 妻 | ハーラン芽衣さん(元モデル・2025年に他界) |
| 長男 | 2021年時点で14歳 |
| 長女 | 2021年時点で12歳 |
パトリック・ハーランさんは民主党支持者ですが、弟はトランプ氏を支持しています。
トランプ氏が大統領に当選してからは、弟と政治の話ができなくなったそうです。
母親にとって自分は「ひとり息子」と話していますが、弟との詳しい関係は明かされていません。
2004年には、8歳年下で元モデルの芽衣さんと結婚しました。
路上ライブの後に出会い、4年の交際を経てのゴールインでした。
2人の子どもに恵まれましたが、芽衣さんは2025年に46歳の若さで亡くなっています。

貧しい生い立ちを経て、日本で温かい家族を築いたことに胸を打たれます。
芽衣さんについては、パックンの妻の記事で詳しくまとめています。
まとめ
今回は、パックンさんの生い立ちや実家、両親の離婚理由、家族構成を調査しました。
- パックンさんの実家は母子家庭の貧乏暮らしで、生活保護を受けた時期もありました。
- 両親は父親の空軍任務による強いストレスが原因で、7歳頃に離婚しています。
- 父親は空軍の元士官で、アマチュア演出家として役者を目指すきっかけもくれました。
- 母親は小学校の先生などを務め、現在は再婚してリタイアメントホームで暮らしています。
- 家族構成は父親・母親・2歳上の姉・警察官の弟で、妻との間には2人の子どもがいます。
10歳から新聞配達で母親を支えた少年時代が、今のパックンさんの原点になっています。
これからも、日米をつなぐ温かい発信を楽しみにしたいですね。


