オリックス・バファローズの左腕で、2021年にパ・リーグ新人王を獲得した宮城大弥さん。
171センチの体から繰り出す変化球で世界大会のマウンドにも立ち、その生い立ちに関心を持つ人も増えていますよね。
今回は、宮城大弥さんの家族構成と兄弟の人数、貧乏だったと語られる幼少期のエピソードや大阪への引っ越しまで調査しました。
宮城大弥のwikiプロフィールと経歴
宮城大弥さんは2001年8月25日生まれ、沖縄県宜野湾市出身のプロ野球選手です。
| 項目 | 内容 |
| 名前 | 宮城 大弥(みやぎ ひろや) |
| 生年月日 | 2001年8月25日 |
| 出身地 | 沖縄県宜野湾市 |
| 身長・体重 | 171cm・85kg |
| 投打 | 左投左打 |
| 出身校 | 宜野湾市立嘉数中学校→興南高校 |
| プロ入り | 2019年ドラフト1位(オリックス) |
| 背番号 | 13 |
野球を始めたのは4歳のときで、保育園に通いながら少年野球チームに入団しています。
中学時代にはU-15日本代表に選出され、沖縄県出身の選手としては史上初の快挙となりました。
興南高校では1年夏と2年夏に甲子園のマウンドを経験し、2019年のドラフトでオリックスから1位指名を受けています。
プロ2年目の2021年には13勝4敗・防御率2.51の成績でパ・リーグ新人王に輝き、チーム25年ぶりのリーグ優勝に貢献しました。
2023年のWBCでは世界一を経験し、2026年の大会でも日本代表に選ばれました。
ただ2026年4月に左肘を痛め、5月には米国で左肘内側側副靱帯の再建術を受けたことが発表されています。
現在はリハビリに取り組んでいる状況です。
しかし、小柄でも一流になれることを証明し続けている存在ですね。
宮城大弥の家族構成と兄弟は何人?
宮城大弥さんの家族構成は、父・享さんと母・礼子さん、そして本人を含めた7人兄弟という大所帯です。
| 続柄 | 内容 |
| 父 | 享(とおる)さん。宮城大弥基金の理事 |
| 母 | 礼子(れいこ)さん |
| 妹 | 宮城弥生さん。ホリプロ所属の女優 |
| 兄弟 | 本人を含めて7人 |
| 妻 | 沖縄県出身の一般女性 |
妹の宮城弥生さんは2006年3月6日生まれで、7人兄弟の末っ子にあたります。
弥生さんから見て上に姉が2人、兄が4人おり、宮城大弥さんはその兄のうちの1人です。
父・享さんは大弥さんを長男と語っており、男の子の中では一番上ということになります。
弥生さん以外の兄弟については、名前や年齢、職業は公表されていません。
なお宮城大弥さんは2026年1月に結婚を発表しており、お相手は同じ沖縄県出身で同学年の一般女性です。
大家族で育った人らしい、にぎやかな家庭になりそうですね。
妹の宮城弥生は女優として活動中
宮城大弥さんの妹・弥生さんは、2023年5月にホリプロへ所属して芸能活動をスタートさせました。
きっかけは2023年のWBCで、家族そろって兄を応援する姿がテレビで取り上げられたことです。
その後は連続ドラマや舞台に出演し、YouTubeでも兄との日常を発信しています。
弥生さんの経歴や現在の活動は、宮城弥生さんのwikiプロフィールと兄との関係でくわしくまとめています。
兄妹そろって注目される存在になっているのが面白いところですね。
宮城大弥の母・礼子さんと父・享さん
宮城大弥さんの母・礼子さんは、家庭の中で子どもたちと最も近い距離にいる存在です。
父・享さんは自身を昭和のおやじと形容し、「大弥のことは全部、母ちゃんに任せて」と話しています。
2023年のWBCの際には、礼子さんが世界へ向かう息子に手紙を書いてエールを送りました。
近年は妹の弥生さんが母親と一緒に東京ドームで観戦する様子をSNSに投稿し、親子ショットが話題になったこともあります。
一方の父・享さんは、学生時代に110mハードルで沖縄県記録を持つほどのスポーツマンでした。
しかし中学3年のときに交通事故に巻き込まれ、左手に障がいを負っています。
その後は渡米してメイクの仕事に就いた時期もあり、帰郷後は複数の仕事を掛け持ちしながら家族を支えてきました。
現在は一般社団法人宮城大弥基金の理事として、沖縄の子どもたちの支援に取り組んでいます。
両親そろって息子の歩みを一番近くで見守ってきたようですね。
宮城大弥の家族が大阪に引っ越した理由
宮城大弥さんの家族が大阪へ引っ越したのは、本拠地が大阪にあるオリックスへの入団がきっかけでした。
沖縄県宜野湾市に暮らしていた一家は、大弥さんのプロ入りに合わせて全員で移り住んでいます。
その背景にあったのは、父・享さんの家族に対する考え方でした。
「家族は一緒」という享さんの方針で、宮城の入団に合わせて大阪に引っ越した。ホーム戦は球場に足を運び観戦を続けた。
引用元: 琉球新報
18歳でプロの世界に入る息子を、家族全員でそばから支えるという選択だったわけです。
妹の弥生さんも大阪の高校に通いながら芸能活動を始めており、現在も一家は大阪を拠点にしています。
ホームゲームのたびに家族が球場へ足を運べるのは、心強いことですよね。
宮城大弥の家が貧乏だったのはなぜ?
宮城大弥さんの家庭が経済的に苦しかった最大の理由は、父・享さんが負った左手の障がいでした。
事故の後遺症で就ける仕事が限られ、当時は障がいのある人の雇用も進んでいませんでした。
得意な英語を生かしたレンタカー業の窓口や運転手、農作物の刈り取りなど、できる仕事は何でも引き受けたといいます。
それでも障がいを理由に賃金を抑えられることがあり、安定した収入にはつながりませんでした。
享さん自身も、安定した収入を得られるまでに10年くらいかかったと振り返っています。
そこに7人兄弟という大家族の生活費が重なり、家計はぎりぎりの状態が続きました。
さらに大弥さんがU-15日本代表に選ばれてからは、遠征費で年間80万〜100万円ほど出費が増えたそうです。
生活保護を検討したこともありましたが、当時はスポーツ活動の費用が認められにくく、野球を続けられなくなることを恐れて踏み切れなかったといいます。
それでも子どもに好きなことをやらせたいという思いを、両親は手放さなかったのですね。
宮城大弥の貧乏エピソードはグローブ
宮城大弥さんの貧乏エピソードとして最も知られているのが、電子レンジで溶けてしまったグローブの話です。
小学生の頃、革のグローブを買うことができず、父が用意したのは700円ほどのビニール製でした。
革のグローブは温めると柔らかくなると聞いた父・享さんが、そのビニール製グローブを電子レンジに入れてしまいます。
結果、柔らかくなるどころか溶けてしまい、大弥さんは大粒の涙を流しました。
このエピソードは妹の弥生さんがテレビ番組でも明かしています。
「チンしちゃって、ほんとにお皿に手形が残って溶けちゃったんです」と話すと、スタジオは大爆笑。
引用元: THE ANSWER
毎晩抱きかかえて寝るほど大事にしていた道具だっただけに、ショックは大きかったようです。
その後、父が仕事でアメリカへ行った際に3000円ほどのグローブを2つ買って帰り、大弥さんは中学3年間そのグローブを使い続けました。
幼少期からプロ入りまでには、ほかにも数々の逸話が残されています。
| 時期 | エピソード |
| 幼少期 | エアコンのない6畳一間で暮らし、電気や水道が止まることも |
| 小学生 | ユニフォームは至るところがツギハギ。穴の空いたスパイクをガムテープで補修 |
| 小学3年 | 優勝の祝勝会に参加できず、貯金箱を差し出して涙 |
| 中学2年 | U-15日本代表の遠征へ。手元にあったお金は5000円 |
| 高校時代 | 学費や寮費で月20万円。父は仕事を3つ掛け持ち |
侍ジャパンの合宿に軟式用のグローブで参加し、チームメイトから驚かれたこともあったそうです。
こうした経験があったからこそ、宮城大弥さんは2022年に一般社団法人宮城大弥基金を立ち上げました。
経済的な理由でスポーツを諦める沖縄の子どもたちに、用具代や遠征費を支援する取り組みです。
現役選手が一般社団法人を設立するのは史上初で、父との約束を形にしたものでもあります。
苦しい時期を知っているからこその活動に、頭が下がりますね。
まとめ
今回は、宮城大弥さんの家族構成と兄弟の人数、母や父のこと、貧乏だった幼少期のエピソードから大阪への引っ越しまで調査しました。
- 宮城大弥さんは2001年8月25日生まれ、沖縄県宜野湾市出身のオリックスの投手です。興南高校から2019年ドラフト1位で入団しました。
- 家族構成は父・享さんと母・礼子さん、本人を含めた7人兄弟です。妹はホリプロ所属の女優・宮城弥生さんです。
- 弥生さん以外のきょうだいの名前や職業は公表されていません。宮城大弥さんは2026年1月に結婚を発表しています。
- オリックス入団に合わせ、「家族は一緒」という父の方針で一家は沖縄から大阪へ引っ越しました。
- 家計が苦しかったのは、父が事故で左手に障がいを負い、就ける仕事が限られていたことが大きな理由でした。
- 貧乏エピソードでは、700円のビニール製グローブを電子レンジで温めて溶かしてしまった話がよく知られています。
苦労を知る左腕が、これからどんな球で球場を沸かせてくれるのか楽しみですね。

