小林鉄三郎の家族構成は?父と兄の意外な共通点

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小林鉄三郎家族構成 スポーツ・アスリート
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横浜高校の左腕投手・小林鉄三郎さん。

2年生ながら自己最速150キロを計測し、夏の甲子園でも一挙手一投足に視線が注がれています。

今回は、小林鉄三郎さんの家族構成や実家、中本牧シニア時代の歩みを調査しました。

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小林鉄三郎のwikiプロフィールと名前の由来

まずは小林鉄三郎さんの基本情報から見ていきましょう。

項目内容
名前小林 鉄三郎(こばやし てつさぶろう)
生年月日2009年6月6日
出身地神奈川県横浜市
身長・体重185cm・81kg(※媒体により184cm・76kgの表記も)
投打左投左打
ポジション投手
経歴若葉台リトルバーズ → 若葉台中(中本牧リトルシニア) → 横浜高校
憧れの選手山本由伸

古風な響きの「鉄三郎」という名前は、池波正太郎の時代小説『鬼平犯科帳』から取られたものです。

主人公・長谷川平蔵の幼名にあやかって名付けられたもので、本人も「お気に入りです」と語り、たまに小説を手に取ることもあるのだとか。

命名したのは父親で、時代小説を愛読していたことがきっかけでした。

マウンド上での落ち着き払った表情を見ていると、名前の持つ雰囲気とぴったり重なりますよね。

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小林鉄三郎の家族構成は?

小林鉄三郎さんの家族については、両親と3歳上の兄の存在が公になっています。

父・雄之さん、母・香織さん、兄・玄三郎さん、そして本人の4人家族という形ですね。

姉妹がいるかどうかについては、現時点では確認できていません。

父・雄之さんはどんな人?

父の雄之さんは、2025年夏の時点で53歳

中学時代までは投手としてプレーしていて、「横浜高校に行きたかった」という夢を抱いていたそうです。

ところが肩やひじを痛めてしまい、その道をあきらめることになりました。

息子が4歳で野球を始めてからは、体づくりを第一に考えて見守ってきたといいます。

中学の全国大会で息子が優勝を飾ったときには、長く野球を続けてほしいという願いを口にしていました。

かつて自分が果たせなかった思いを、押しつけではなく静かな願いとして託しているのが伝わってきますね。

兄・玄三郎さんについてわかっていること

3歳上の兄・玄三郎さんの名前も、同じく池波作品の『真田太平記』の登場人物にちなんだものです。

兄弟そろって時代小説から名前をもらっているというのは、なかなか珍しいのではないでしょうか。

玄三郎さんもかつては野球に打ち込んでいましたが、思わぬアクシデントに見舞われています。

兄の玄三郎さんはその川和野球部に所属。しかし試合で顔に死球を受け、一時は失明の可能性もある大けがを負った。

引用元: スポニチアネックス

現在は大学に進学していて、野球からは離れているとのことです。

「兄の分も頑張りたい気持ちはあるか」と問われた鉄三郎さんが、力を込めて「あります!」と答えた場面は、多くの高校野球ファンの心に残りました。

母・香織さんが語った幼少期

母親の香織さんは、息子の幼い頃をこんなふうに振り返っています。

母香織さんは「小さい頃から野球ばかり。小学生のときも、毎日、毎朝、自分の試合や練習のビデオを見てから学校に行く子でした」

引用元: 日刊スポーツ

幼稚園の頃には、七夕の短冊に「てつはプロやきゅうせんしゅになりたいです」と書いていたそうです。

名前に込めた「芯のある男に」という願いも、香織さんの言葉として伝えられています。

ご両親の職業などの詳しい情報は公表されていませんが、家族ぐるみで野球に向き合ってきた様子がうかがえる話ですよね。

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小林鉄三郎の父と兄が過ごした川和高校とは

父・雄之さんと兄・玄三郎さんは、そろって神奈川県立川和高校の出身です。

横浜市都筑区川和町にある県立の共学校で、地元では進学校として知られています。

雄之さんは川和に進んだものの、故障の影響もあって高校では野球部でプレーしていません。

一方の玄三郎さんは川和の野球部に所属し、そこで前述の大けがを負うことになりました。

同じ学校でありながら、父と兄がたどった道はずいぶん違っていたわけですね。

そして2025年夏、この学校をめぐって少し不思議な巡り合わせが生まれます。

当時の川和にはプロ注目の左腕がいて、横浜と川和が勝ち上がれば準々決勝で顔を合わせる組み合わせだったのです。

父と兄の母校と、息子・弟が身を置く名門校。

実現していれば、家族にとって複雑な感情が入り交じる一戦になっていたはずです。

進学先こそ違えど、家族3人が同じ「投げる」という行為に人生の一部を預けてきたのは間違いなさそうですね。

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小林鉄三郎の実家と中本牧シニア時代の歩み

地元紙の取材によると、小林鉄三郎さんの実家は横浜市旭区の若葉台エリアで暮らしていたことが紹介されています。

小学生時代に所属した「若葉台リトルバーズ」も、進学した若葉台中も同じエリアにあり、幼い頃からこの土地で育ってきたことがわかります。

野球を始めたのは4歳のとき。

3歳上の兄と一緒にリトルバーズへ入団し、当初は投手だけでなく捕手もこなしていました。

当時指導した監督は、運動神経に恵まれていて、優しく協調性のあるリーダー的な存在だったと振り返っています。

中学に上がると、横浜市中区を拠点とする中本牧リトルシニアへ。

ここでも最初から順風満帆だったわけではなく、1軍に入れない悔しさを味わった時期もあったといいます。

それでも同学年の鈴木陽仁さんと競い合いながら力をつけ、「全国トップクラスの左腕2枚看板」と呼ばれる存在に成長しました。

そして迎えた2024年夏、中学硬式野球の日本一を決めるジャイアンツカップで、チームは頂点に立ちます。

決勝では6回からマウンドに上がって2イニングを無失点に抑え、最終回には自ら同点タイムリーを放ってサヨナラ勝ちを呼び込みました。

大会通算12回3分の1を投げて2失点、打っては7打数2安打という活躍で、野球漫画とのコラボを記念した「BUNGO賞」も受賞しています。

10人ほどのプロ野球選手を送り出してきたチームの監督からも、実力は歴代のプロ入り選手に引けを取らないと評価されていました。

その後、数十校からの誘いがあった中で「一番成長できる場所」として横浜高校を選んだというのですから、覚悟の大きさが伝わってきます。

地元で始まった野球人生が、そのまま地元の名門校につながっていったというのは、なんだかドラマのようですね。

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小林鉄三郎の現在は甲子園でどこまで届くのか

横浜高校に入学すると、1年生の春から公式戦のマウンドに立ちました。

1年夏の神奈川大会初戦・荏田戦では背番号20をつけて先発し、4回を3安打無失点、毎回の7奪三振という内容でプロのスカウトを驚かせています。

この日の最速は137キロでした。

1年秋には背番号10を任され、2年春の選抜大会では甲子園デビュー。

神村学園戦の8回2死から救援し、1回3分の1を無安打無失点、最速143キロと粘りの投球を見せましたが、チームは0対2で初戦敗退となりました。

2026年5月の関東大会・国士舘戦で自己最速145キロを記録すると、そこから夏にかけてさらに伸ばし、7月21日の神奈川大会準々決勝・市ケ尾戦ではついに150キロの大台に到達します。

3安打無失点で後続につなぎ、チームは県内連勝を37に伸ばしました。

横浜が2年生の活躍で市ケ尾を破り、県内連勝記録を「37」に伸ばした。先発の2年生左腕・小林鉄三郎投手は自己最速を1キロ更新する150キロを記録。

引用元: 日刊スポーツ

7月26日の決勝では桐光学園を11対1で下し、横浜は2年連続22回目の優勝。

神奈川県勢として史上初となる4季連続の甲子園出場を決めました。

第108回全国高校野球選手権での初戦は、大会第6日となる8月10日の第2試合で沖縄尚学と対戦する組み合わせです。

エース・織田翔希さんという大黒柱がいる中で、左の柱として存在感を高めている小林鉄三郎さん。

父と兄の思いも背負ったその左腕が、聖地でどんな球を投げ込むのか楽しみですね。

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まとめ

小林鉄三郎さんの家族構成は、父・雄之さん、母・香織さん、3歳上の兄・玄三郎さんと本人の4人です。

兄弟の名前はいずれも池波正太郎の作品に由来していて、父の読書愛がそのまま子どもたちに刻まれた形になっています。

父と兄はともに県立川和高校の出身で、父は故障、兄は試合中の大けがによって、それぞれ野球の道を途中で離れることになりました。

実家は横浜市旭区の若葉台エリアとされ、4歳から地元で野球を始め、中本牧リトルシニアでジャイアンツカップ優勝を経験して横浜高校へ進んでいます。

家族の果たせなかった夢を背負う左腕が、この夏の甲子園でどこまで駆け上がるのか注目していきたいですね。

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