女優・岸惠子さんとフランス人映画監督イヴ・シャンピさんの間に生まれた一人娘、デルフィーヌ=麻衣子・シャンピさん。
母である岸惠子さんの葬儀で喪主を務めた人物として、その歩みが気になる人も増えていますよね。
今回は、岸惠子さんの娘デルフィーヌさんの現在の仕事と、夫や2人の孫、幼い日の失踪事件や公開されている画像まで調査しました。
岸惠子の娘の画像とwikiプロフィール
岸惠子さんの一人娘は、1963年5月23日にパリで生まれたデルフィーヌ=麻衣子・シャンピさんです。
「母はびっくり」
— 波平 (@Katsuo_47K) August 19, 2026
「娘はにっこり」
レディーボーデン#なつかCM#デルフィーヌ・麻衣子・シャンピ#岸惠子 さんのご冥福を…😢 pic.twitter.com/bVPaDDp6TL
| 項目 | 内容 |
| 名前 | デルフィーヌ=麻衣子・シャンピ(Delphine Ciampi) |
| 生年月日 | 1963年5月23日 |
| 年齢 | 63歳 |
| 出身 | フランス・パリ |
| 父 | イヴ・シャンピ(映画監督・医師) |
| 母 | 岸惠子(女優・文筆家) |
| 学歴 | ソルボンヌ(パリ大学)卒業後、東洋語大学で日本語を学ぶ |
| 職業 | ミュージシャン・作曲家 |
| 現在の表記 | Delphine Ciampi Ellis |
国籍はフランスで、日本語は片言なら話せるものの読み書きはできないと岸惠子さんが語っています。
画像については、1960年代のパリで撮影された母娘のツーショットが報道写真として残されています。
週刊誌のグラビアを母娘2人で飾ったこともありました。
現在の姿は、本人が音楽活動用に公開しているサイトやSNSで見ることができます。
絵の才能もあり、『岸惠子自伝』では装幀と装画をデルフィーヌさんが手がけました。
副題を伝えたら即座に「わかった。ママの顔を割るわ」と答えたそうで、装画は9種類も描いたといいます。
30年以上前に岸惠子さんが雑誌『太陽』で連載した手書きエッセイの挿絵も、すべて彼女が担当していました。
母の本の表紙に娘の絵が使われているというのは、素敵な関係ですよね。
岸惠子の娘デルフィーヌの現在
デルフィーヌ=麻衣子・シャンピさんの現在の職業は、パリを拠点に活動するミュージシャン・作曲家です。
メインの楽器はバリトンギターで、ベースも弾き、ヴィンテージのアンプやペダルを好むアナログ派として知られています。
音楽のキャリアは1980年代半ばから40年近くに及びます。
| 年 | 主な活動 |
| 1980年代半ば〜 | ロックやパンクのバンドで演奏とツアーを重ねる |
| 1990年代 | 東京とロサンゼルスを行き来し、バンド「Pilar Stupa」を結成 |
| 2004年 | サンドリーヌ・デュマ監督の短編映画で映画音楽の作曲を開始 |
| 2008年 | 女性3人組バンド「Les Colettes」を結成 |
| 2019年 | 詩人と組んだ朗読と演奏のプロジェクトを始動 |
フランスのオルタナティブシーンで「Les Bolinos」「Les Wampas」といったバンドにも参加してきました。
「Les Colettes」時代には、ニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズの前座を務めた経験もあります。
近年は長編・短編の映画音楽や演劇の音楽制作も手がけ、欧州の作曲家団体ECSAでは著作権やジェンダー平等をめぐる活動にも加わっています。
夫が関わるスマトラ島の野生動物保護施設「Ellis Park」を共同で立ち上げた1人とも言われています。
母とは違う分野で、しっかり自分の名前で仕事を積み上げてきた人ですね。
母である岸惠子さんは横浜の実家で育ち、女優として国際的な活躍を続けてきました。
岸惠子さんの生い立ちや実家については、こちらの記事で詳しくまとめています。
岸惠子の娘の夫と孫2人は?
岸惠子さんの娘デルフィーヌさんの夫は、オーストラリア出身のミュージシャン、ウォーレン・エリスさんです。
ニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズのメンバーで、ヴァイオリンを中心に多彩な楽器を操る人物として知られています。
自身のバンド「Dirty Three」でも活動し、映画音楽の作曲家としても国際的な賞を重ねてきました。
2人は1999年に結婚し、パリで暮らしてきました。
岸惠子さんは対談で、娘の家族と過ごすときの会話について語っています。
日本語はまったく出てこず、夫がいるときは英語になるため、自分だけが少し離れた場所にいるような寂しさを感じると明かしていました。
孫は男の子が2人で、名前はロスコさんとジャクソンさんです。
初孫のロスコさんは2000年5月28日に誕生し、岸惠子さんは67歳でおばあちゃんになりました。
2022年8月に東京で開かれたトークショーでは、フランスから来日した孫2人にエスコートされてステージに登場しています。
「私の孫のロスコとジャクソンです」と、フランス人映画監督イブ・シャンピとの間の1人娘デルフィーヌ=麻衣子さんの息子2人を紹介した。
引用元: 日刊スポーツ
コロナ禍にはイギリスの大学にいた孫へ、好物のお煎餅や和菓子を送っていたというエピソードも語られています。
海を越えても行き来のある、温かい家族だったようですね。
岸惠子の娘の失踪事件とは?
デルフィーヌ=麻衣子・シャンピさんの失踪は、岸惠子さんが離婚を決意するきっかけになった出来事です。
日本経済新聞の連載「私の履歴書」でも、夫に女性の影があることを見抜いた娘が失踪したと明かしています。
当時の岸惠子さんは仕事で日本とパリを往復し、家を空けることが重なっていた時期でした。
娘の失踪をきっかけに、岸惠子さんは夫の事情を知ることになります。
エッセイ『巴里の空はあかね雲』に収められた、いわゆる「啖呵」の一節にもこの出来事が刻まれています。
あげくの果ての愛し子の、失踪事件で報らされた、アッと驚く夫の事情。
引用元: ニッポン放送 NEWS ONLINE
失踪した娘がどこで見つかったのかなど、詳しい経緯までは公にされていません。
岸惠子さんは、父親をヒーローのように慕っていた娘に離婚が与えた衝撃は計り知れないと振り返っていました。
10代を迎える前の子どもにとって、それだけ大きな出来事だったのでしょうね。
岸惠子と娘との別れは?
岸惠子さんと娘との別れは、離婚と帰国、そして死別という3つの局面がありました。
1975年にイヴ・シャンピさんと離婚した際、娘の親権は岸惠子さんが持ちました。
デルフィーヌさんは当時11歳から12歳ごろで、パリに残る道が選ばれています。
このとき岸惠子さんは、娘が大学を卒業して結婚するまでフランスに留まると決めました。
学費や養育費は父親が払うという申し出も断り、自分で働いて娘を育てる道を選んだといいます。
区切りとなったのは1999年です。
国連人口基金の親善大使としてアフリカにいる間に母を看取れず、その年の秋には娘が結婚しました。
母という役目を終える時期が来たと考え、翌2000年に娘や2人の孫と暮らしたフランスを離れ、横浜の実家で一人暮らしを始めます。
パリの自宅はその後も事務所として使い続けました。
そして2026年8月7日、岸惠子さんは93歳で横浜市の自宅で亡くなりました。
葬儀は故人の遺志により近親者のみで行われ、喪主は長女の麻衣子さんが務めています。
国籍も言葉も違う母娘が、それぞれの場所で自分の人生を貫いた形なのかもしれませんね。
まとめ
今回は、岸惠子さんの娘デルフィーヌ=麻衣子・シャンピさんの現在の仕事と、夫や2人の孫、失踪事件や母娘の別れ、画像まで調査しました。
- デルフィーヌ=麻衣子・シャンピさんは1963年5月23日にパリで生まれた63歳で、岸惠子さんとイヴ・シャンピさんの一人娘です。
- 現在はパリを拠点にミュージシャン・作曲家として活動し、バリトンギターや映画音楽を手がけています。
- 夫は1999年に結婚したオーストラリア出身のミュージシャン、ウォーレン・エリスさんです。
- 孫はロスコさんとジャクソンさんの2人で、2022年のトークショーでは岸惠子さんをエスコートして登場しました。
- 幼い日の失踪は岸惠子さんが離婚を決意するきっかけとなりましたが、詳しい経緯は公にされていません。
- 岸惠子さんは1999年の娘の結婚を機に翌年帰国し、2026年8月に93歳で亡くなり、喪主は長女の麻衣子さんが務めました。
母の書いた本は読めなくても、その本の装画を描き続けた娘さん。
これからも音楽の場で、自分の名前での歩みを重ねていくのでしょうね。

