『渡る世間は鬼ばかり』『肝っ玉かあさん』など、数々のホームドラマを世に送り出してきたテレビプロデューサーの石井ふく子さん。
世界最高齢の現役テレビプロデューサーとしてギネス世界記録に認定され、その生い立ちや家族が気になる人も増えていますよね。
今回は、石井ふく子さんの父親と母のこと、兄弟や家族構成、下谷にあった実家まで調査しました。
石井ふく子の父親は伊志井寛
石井ふく子さんの父親は、劇団新派の名優として知られた俳優の伊志井寛さんです。
ただし血のつながりはなく、母が再婚した相手にあたる継父でした。
伊志井寛さんは1901年2月7日生まれで、本名は石井淸一さん。
明治期の人気落語家・4代目三升亭小勝の息子として、東京の牛込区神楽坂に生まれています。
| 項目 | 内容 |
| 名前 | 伊志井寛(いしい かん) |
| 本名 | 石井淸一 |
| 生年月日 | 1901年2月7日 |
| 没年月日 | 1972年4月29日(71歳没) |
| 出身地 | 東京府東京市牛込区神楽坂(現・東京都新宿区) |
| 職業 | 俳優(劇団新派) |
| ふく子との関係 | 継父(血縁・戸籍ともになし) |
芸の道の出発点は文楽で、竹本津駒太夫の名で初舞台を踏みました。
その後は松竹蒲田撮影所で映画に出演し、1928年に新派へ加入します。
1938年には花柳章太郎さんらと新生新派を結成し、戦後の劇団新派でも大幹部として看板を背負いました。
1967年には紫綬褒章を受章しています。
石井ふく子さんがプロデューサーになってからは、『肝っ玉かあさん』や『カミさんと私』といった自身の作品に父を起用しました。
伊志井寛さんは1972年4月、明治座の舞台に出演中に倒れ、肝臓癌のため71歳で亡くなっています。
親子で名作を残していたのは、なんとも粋な話ですね。
1968年11月には伊志井寛さんの勧めで、新派公演「なつかしい顔」(新橋演舞場)の演出を任されました。
これをきっかけに、以来40年にわたり386本もの舞台を演出する演出家としての顔も持つようになっています。
実父は非公表
石井ふく子さんの実父の名前は公表されていません。
本人によると、実父は大学生だった頃に母と婚約しましたが、周囲の猛反対によって仲を引き裂かれたそうです。
その後に生まれたのが石井ふく子さんで、母は未婚のまま出産しました。
そのため伊志井寛さんが、石井ふく子さんにとって初めての「お父さん」でした。
戸籍の上でも、二人は父娘として結ばれていません。
母が伊志井寛さんと結婚する際、伊志井さんが石井ふく子さんの入籍を拒んだためです。
そこで、のちに母が養子として迎える形をとりました。
伊志井寛さんの没後には、遺産の分配を求めて彼が認知した実子と争いになり、継子に相続権はないため和解しています。
それでも石井ふく子さんは、義父から大切なことをいくつも教わったと振り返っているようです。
石井ふく子の母は芸者の三升延
石井ふく子さんの母は、小唄・三升流の家元となった三升延(みますのぶ)さんです。
もともとは東京・下谷区数寄屋町の花柳界で「分川本の君鶴」と呼ばれた売れっ子芸者でした。
1926年、22歳のときに未婚で石井ふく子さんを産んでいます。
母は東京・下谷区数寄屋町の花柳界で人気の芸者で、1926年、22歳の時に未婚で私を産みました。
引用元: 週刊文春
出産予定日は9月半ばでしたが、母は娘の誕生日を9月1日に決めていました。
陰陽道の「天一天上」にあたるこの日に生まれた子は、生涯にわたって人の縁に恵まれるといわれていたからです。
母は医師に頼み込み、当時は危険だった帝王切開で石井ふく子さんを産みました。
三升延さんは、娘の目にも自由奔放でチャーミングな人だったといいます。
通帳も印鑑も持たずに銀行へ行き、行員に「ちょうだい」と頼んでしまうような一面もあったそうです。
画家の竹久夢二にモデルを頼まれたという話も語られています。
母の願いが、そのまま娘の人生を形づくっていったようですね。
石井ふく子の兄弟は?一人っ子
石井ふく子さんに兄弟はおらず、一人っ子として育ちました。
母は夜はお座敷、昼は稽古や髪結いで忙しく、幼い石井ふく子さんの世話は祖父母が担っていたそうです。
本人は、この生い立ちがホームドラマづくりの原点になったと語っています。
両親が早くに他界し、祖父母に育てられた上、一人っ子だったものですから、家族に対する憧れがあるんです。
引用元: デイリー新潮
小学校時代、毎月1日に日の丸弁当を持っていく決まりがありました。
祖母は誕生日の9月1日だけ、ご飯の間に鮭の身をほぐして入れてくれたといいます。
その祖母を10代で亡くして泣き崩れたとき、母は「あんたの母親は、私だよ」と声をかけたそうです。
一方、継父の伊志井寛さんには認知した実子がいました。
その血筋からは、俳優の石井麗子さんとフリーアナウンサーの石井希和さんという孫が出ています。
石井ふく子さんと血のつながりはないものの、芸の家系がしっかり続いているのがわかりますね。
石井ふく子の家族構成は?
石井ふく子さんの家族構成は、母・三升延さんと継父・伊志井寛さんを中心とした3人でした。
結婚はしておらず、子どももいません。
| 続柄 | 人物 |
| 母 | 三升延(芸者「君鶴」から小唄・三升流の家元へ) |
| 継父 | 伊志井寛(劇団新派の俳優) |
| 実父 | 非公表 |
| 兄弟 | いない(一人っ子) |
| 配偶者・子ども | いない |
両親は、石井ふく子さんが40代の頃に相次いで亡くなりました。
現在は都内のマンションで一人暮らしを続け、昼から夕方は秘書がサポートに入るそうです。
それでも夕飯は自分で作ると話しており、ご飯に焼き魚や卵焼きを添えた食卓を守っています。
本人は自分を「おひとり様」と表現しながら、寂しさはないと語っています。
毎晩電話をくれる大空眞弓さんや、「お母ちゃん」と呼んで連絡をくれる上戸彩さんなど、家族のように接してくれる人が周りにいるからです。
血縁を越えたつながりに囲まれているのは、なんだか温かい話ですね。
石井ふく子の実家は下谷池之端
石井ふく子さんの実家は、東京府東京市下谷区池之端にありました。
現在の東京都台東区下谷池之端にあたり、上野の不忍池にほど近い一帯です。
母が身を置いた数寄屋町の花柳界も、同じ下谷にありました。
この家で祖父母に育てられた石井ふく子さんは、3歳から踊りの稽古に通い始めます。
学校は大嫌いで、廊下に立たされるとそのまま屋上に上がり、向かいにある師匠の稽古場を眺めていたそうです。
13歳で脚気を患い、踊りの道は断念しました。
戦争が激しくなると、母と伊志井寛さんとの3人で山形県へ疎開します。
19歳で終戦を迎えて東京に戻ったときには、実家は空襲で焼け落ちていました。
住む家が見つからないところを、父の友人だった長谷川一夫さんが引き取り、親子3人でその自宅の離れに暮らし始めます。
父が俳優、母が花柳界の人だったため、家にはいつも芸能人が出入りしていました。
越路吹雪さんや高峰秀子さんは母を「母ちゃん」と呼び、江利チエミさんや美空ひばりさんは父を慕って訪ねてきたといいます。
実家そのものが芸能界の交差点のような場所だったんですね。
まとめ
今回は、石井ふく子さんの父親と母のこと、兄弟や家族構成、下谷池之端にあった実家まで調査しました。
- 石井ふく子さんの父親は劇団新派の名優・伊志井寛さんですが、血縁も戸籍上のつながりもない継父でした。
- 実父の名前は公表されていません。大学生だった頃に母と婚約したものの、周囲の反対で別れたと語られています。
- 母は下谷の花柳界で「君鶴」と呼ばれた売れっ子芸者で、のちに小唄・三升流の家元となった三升延さんです。
- 兄弟はおらず一人っ子で、母が忙しかったため祖父母に育てられました。家族への憧れがホームドラマの原点になったそうです。
- 家族構成は母と継父の3人が中心で、結婚も出産もしておらず、現在は都内のマンションで一人暮らしを続けています。
- 実家は東京・下谷区池之端。空襲で焼失し、戦後は長谷川一夫さんの自宅の離れで親子3人が暮らしました。
2026年9月1日に100歳を迎えてもなお現場に立ち続ける石井ふく子さんが、これからどんな家族の物語を描いてくれるのか楽しみですね。
