「う、ふ、ふ、ふ、」で知られるEPO(エポ)さんの生い立ちには、母親からの虐待と、それを止めなかった父親、そして3歳上の兄との複雑な関係がありました。
東京都世田谷区の実家を十代で離れ、19歳でデビューした後も干渉は続き、40代半ばで毒親と呼ばれる家族との縁を断つ決断をします。
今回は、EPO(エポ)さんが雑誌や自身の発信で語ってきた内容をもとに、幼少期から現在までの生い立ちをまとめました。
EPO(エポ)の生い立ちと実家
EPO(エポ)さんは1960年5月12日、東京都世田谷区に生まれ育ちました。
出生名は佐藤栄子(さとう えいこ)で、結婚後の本名は宮川榮子(みやがわ えいこ)です。
芸名は子供時代のあだ名「エポ」に由来しています。
3歳でピアノを習い始め、クラシックやテレビから流れるCMソングを聴いて育ちました。
1976年3月に世田谷区立新星中学校を卒業し、同年4月に東京都立松原高等学校へ入学。
在学中はバンド「Laugh」でピアノとコーラスを担当し、ニッポン放送のコンテスト番組で優勝したことが音楽の道を志すきっかけになりました。
実家を出たのは十代の終わりです。
兄が国家試験の勉強を始め、家でピアノを弾けなくなったことが直接の理由でしたが、本人にとっては母の支配から逃れる機会でもあったと振り返っています。
ただし家を出た年齢については18歳と語った記事と19歳と記した本人の文章の両方があり、記載には差があるようです。
アルバイトで自活しながら、1980年に『DOWN TOWN』でデビューしました。
| 項目 | 内容 |
| 生年月日 | 1960年5月12日 |
| 出身地 | 東京都世田谷区 |
| 出生名 | 佐藤栄子 |
| 本名 | 宮川榮子 |
| 中学校 | 世田谷区立新星中学校(1976年3月卒業) |
| 高校 | 東京都立松原高等学校(1979年3月卒業) |
| 大学 | 東京女子体育大学中退 |
| 実家を出た時期 | 十代の終わり |
EPO(エポ)の母親による虐待
EPO(エポ)さんは、母親に甘えた記憶はほとんどないと語っています。
物心ついた頃から怒られ、罵られるのが日常で、身に覚えのないことでも「あんたがやったでしょ」と責め立てられました。
抵抗すると着物の腰紐で縛られ、手首に火のついた線香を押し当てられ、体のあちこちを物差しで叩かれたといいます。
泣きながら「私がやりました」と言うまで解放されなかったと明かしました。
母は「あなたのためよ」と繰り返しました。
親から拒絶されると生きていけない子供の立場では、理不尽だと感じながらも「これはしつけなんだ」と自分に言い聞かせ、謝り続けるしかなかったそうです。
両親の仲は悪く喧嘩が絶えず、「あんたがいなければ離婚していた」と言われ続けたことで、母の不機嫌は自分のせいだと思い込むようになりました。
母は女性性を嫌悪する傾向があり、娘が女であること自体も気に入らなかったようです。
幼い頃は髪を男の子のように短く刈られ、鏡を見て髪をとかすだけで「夜の女みたい」と非難されました。
ここでも「悪いのは私」と自分を責めてしまう構造ができあがっていったといいます。
母に境界性パーソナリティ障害という診断名が付いていたことを知ったのは、母の死後に病院から診療領収書を取り寄せたときでした。
心の問題や精神疾患について学ぶうちに、思い込みが極めて強く、相手の考えが自分と違うだけで感情が激しく乱れるという母の言動が腑に落ちたと語っています。
EPO(エポ)の父親が持つ二つの顔
EPO(エポ)さんは、父親について複雑だと述べています。
ひとつは人や動植物に対して愛情深く、自分の良き理解者としてかわいがってくれる顔でした。
ただしそれは2人きりのときに限られていたといいます。
もうひとりの父は破壊的で冷酷でした。
母が「この子がこんな悪いことをした」とありもしないことを言うと、娘の言い分を聞かないまま「そうか」と母と一緒になって責め立てたそうです。
母の情動に影響を受けやすく、さっきまで笑っていたかと思うと急に激昂して大声で怒鳴り、物にあたることもありました。
どのタイミングで何が引き金になるのか見当もつかず、母といるときの父がとても怖かったと語り、今でも声の大きな男性が苦手だと明かしています。
両親にはどちらも兄弟が多く、親から関心や愛情を注がれずネグレクトを経験したという共通点がありました。
母の心には深い闇があり、妄想の中で被害者になることを好む傾向があった一方、父も母に依存されることで低い自己肯定感を埋めていたように感じると本人は分析しています。
後にカウンセリングを学び、2人の関係は共依存だったと理解したそうです。
その父の言動についても、近年は捉え方が変わりつつあると語りました。
父方の親戚から、父は気づかいのある人で、母に内緒で実家を訪ねては妹たちにお金を包んで渡していたと聞いたためです。
母の気持ちがおさまり、それ以上の危害が娘に及ばないよう、わざと母の肩を持っていたのかもしれないとの見方も示しています。
EPO(エポ)の兄と家族の関係
EPO(エポ)さんには、3歳上の兄がいます。
母の攻撃対象はもっぱらEPO(エポ)本人に向けられ、兄が同じ扱いを受けることはありませんでした。
兄は妹が虐待を受ける場面をいつもそばで見ていながら何もできず、罪悪感を抱えながら大人になっていったのではないかと本人は推し量っています。
家庭は父方も母方も親戚づきあいがまったくない状態でした。
本人は自身の育った環境を機能不全家族と表現し、このままでは自分の心が死ぬと思い、一人で生きる不安より心が壊れていく恐怖のほうが勝ったために家を出たと記しています。
| 家族 | 内容 |
| 母親 | 境界性パーソナリティ障害と診断されていた |
| 父親 | 娘と2人のときと母がいるときで態度が変わった |
| 兄 | 3歳上、母の攻撃対象にはならなかった |
| 親戚づきあい | 父方も母方もほとんどなかった |
EPO(エポ)が毒親と決別した経緯
EPO(エポ)さんが家を出た後も干渉は続きました。
住んでいたマンションの管理人が「お風呂の点検」などの理由で合鍵を使って部屋に入ってくることが重なり、後に母が管理人へ金を渡して報告させていたと判明します。
母自身も留守中に部屋へ入り込んでいたようです。
玄関のチャイムが鳴って出たところ、包丁を握った母が切りつけてきたときは本当に殺されると思ったと語っています。
振り切ってタクシーで所属レコード会社へ逃げ込むと、今度は父から「EPOの父だが、娘が妻を暴行し、怪我をさせたので警察に連絡する」という事実と正反対の電話が入りました。
それを聞いて過呼吸となり意識を失い、救急搬送されて急性ストレス障害と診断されています。
心身が疲れ果てて移り住んだ神奈川県葉山にも母は現れ、近所に事実でない話を広めたため、地元の人から出て行ってくれと言われたこともあったそうです。
転機になったのは30代の終わり頃に受けた催眠療法でした。
幼い頃のつらかった気持ちや我慢していた感情があふれ出し、「私はこんなに悲しかったんだ」と認識したことで気持ちが軽くなったといいます。
その後資格を取り、2004年に認定資格を得た頃、母に「もう会わない」と通告しました。
兄とも連絡を絶ち、44歳になる頃に母と、母の側に付いていた父や兄との縁を断つ決断に至ります。
自分の親であるため罪悪感はあったものの、恐怖支配から逃れるには関係を断ち切るしかなかったと述べています。
家族3人はその後いずれも他界しました。
3人はそれぞれ、自身の死を栄子にだけは知らせないでほしいと周囲に託していたそうです。
兄については叔父からの連絡でおよそ2か月後に死去を知り、3日後に届いた訃報のハガキの時点で葬儀は既に終わっていたと本人が記しています。
EPO(エポ)の生い立ちと今の活動
EPO(エポ)さんは、2006年から夫となる俳優の宮川雅彦さんとともに、米フロリダ州マイアミの「バーバラ・ブレナン・スクール・オブ・ヒーリング」へ4年間通いました。
授業では自分の中の未解決の問題と正面から向き合う作業が課され、幼少期の心の傷と日々向き合うのは本当につらく、毎日泣き腫らした顔で教室へ通ったといいます。
ある授業で理不尽な差別を扱った日、怒りであふれかえる感情を教師に向けてぶつけるよう促され、全身でマットに飛び込みました。
教師と背中を支えた同級生5、6人ごと後ろへ押し倒してしまい、「どんなにあなたのお母さんがあなたのパワーをコントロールしても、あなたはこれだけの強い力を持っている」と言われたことを覚えていると語っています。
帰国後は夫と神奈川県葉山町でカウンセリングスタジオ「MUSIC&DRAMA」を始め、全米催眠療法協会認定催眠療法士などの資格を生かした活動を続けています。
相談に訪れるのは「娘」という立場で母親との問題に悩んできた人が多く、親を否定することへの罪悪感から自分を肯定できないまま大人になった人たちだそうです。
本人は「自分が幸せになることを自分に許してあげて」と伝えたいと話しました。
2011年の東日本大震災後は沖縄本島で暮らし、畑仕事と海のある生活を送りながら音楽活動を継続しています。
詳細はEPO(エポ)さんの現在は沖縄暮らしの記事にまとめました。
2025年にデビュー45周年を迎え、アルバム『EPOFUL』を発表。
2026年9月23日にはデビュー45周年記念のベスト盤2形態が発売され、同月には東京・名古屋・大阪をまわる「EPOコンサートツアー2026」も予定されています。
まとめ
- EPO(エポ)さんは1960年に東京都世田谷区で生まれ、3歳上の兄がいる家庭で育ちました
- 母親は境界性パーソナリティ障害と診断されており、幼少期から日常的な虐待を受けていました
- 父親は娘と2人のときは愛情深く、母がそばにいると母に同調するという二つの顔を持っていました
- 実家は十代の終わりに離れましたが、デビュー後も母からの干渉が続き急性ストレス障害と診断されています
- 44歳になる頃に母と父、兄との関係を断ち、家族3人はその後いずれも他界しました
- 現在は沖縄を拠点に、歌手活動とセラピストとしての活動を並行させています

