小児科医として26年間子どもを診療し、そのあと衆議院議員を9期務めた阿部知子さん。
医療や子育て、原発政策に長く取り組んできた歩みとあわせて、その家族構成が気になる人も増えていますよね。
今回は、阿部知子さんの家族構成と、夫や娘・孫のこと、兄や実家のエピソードから小児科医としての経歴まで調査しました。
阿部知子のwikiプロフィール
阿部知子さんは1948年4月24日生まれ、東京都目黒区出身の小児科医で、衆議院議員を9期務めた政治家です。
| 項目 | 内容 |
| 名前 | 阿部 知子(あべ ともこ) |
| 生年月日 | 1948年4月24日 |
| 出身地 | 東京都目黒区 |
| 出身校 | お茶の水女子大学附属高校/東京大学医学部 |
| 職業 | 小児科医、前衆議院議員(当選9回) |
| 選挙区 | 神奈川12区(藤沢市・寒川町) |
公式サイトでは趣味に「食べること、料理」を挙げ、好きな言葉は「希望」としています。
著書も『思春期外来診療室』『いのち愛おしむ心で』『子育て@みんなの政治』など、医療と子育てをテーマにしたものが並びます。
小児科医と政治家という二つの肩書きを長く並行させてきた人ですね。
阿部知子の家族構成は夫と娘・孫
阿部知子さんの家族構成で本人が語っているのは、夫と、アメリカで暮らす娘、そして孫たちの存在です。
夫については、衆議院で在職25年の永年在職議員表彰を受けた際の挨拶で触れています。
事務局スタッフ、そして夫や家族の支えによって、以降連続九期にわたり国会に身を置くこととなりました。
引用元: 衆議院会議録
一方で、夫の名前や職業、出会いについては公表されていません。
娘については、本人がSNSで暮らしぶりを明かしています。
娘はもう三十年以上、米国に住みグリーンカードを持っています。そして孫はアメリカで生まれアメリカ国籍、多民族社会でお友達の母国も様々。
引用元: X(あべともこ)
孫は複数いて、ボストン近郊の海岸の写真が送られてきたことも紹介されていました。
分かっている範囲を整理すると、次のようになります。
| 家族 | 分かっていること |
| 夫 | 名前や職業は非公表。議員活動を支えた存在として本人が言及 |
| 娘 | 30年以上アメリカ在住で、グリーンカードを保有 |
| 孫 | 複数。アメリカ生まれでアメリカ国籍 |
小児科医らしく、孫の世代の暮らしまで含めて多民族社会に目を向けている印象がありますね。
阿部知子の結婚相手と子供は何人?
阿部知子さんの結婚については、時期やお相手の職業といった具体的な情報は公表されていません。
子供の人数も公表されておらず、確認できるのはアメリカで暮らす娘の存在だけです。
家族が一般の生活を送っている場合、名前や勤務先を明かさない政治家は少なくありません。
阿部知子さんも家族に関する発信は、孫の写真を紹介するといった範囲にとどめてきました。
ちなみに国会では、選択的夫婦別姓の実現を求める立場で法務委員会などの論戦に立っています。
姓や家族のあり方をめぐるテーマは、議員としてのライフワークの一つだったようです。
阿部知子の実家と兄・両親は?
阿部知子さんの実家は東京都目黒区で、兄弟は兄が1人という2人兄妹です。
子どもの頃の遊び場は「洗足池」や「九品仏の森」だったと自身で振り返っています。
兄は『窓ぎわのトットちゃん』と同じ幼稚園を卒業しましたが、阿部知子さんは未熟児で体が弱く、幼稚園には通えませんでした。
父親の職業や名前は公表されていません。
母親については、1978年1月24日の深夜、都内7か所の病院をたらい回しにされた末に亡くなったことを本人が明かしています。
当時は救急医療体制の不備が大きな社会問題になっており、日本社会党の山本政弘衆院議員がこの事案を国会で取り上げました。
この出来事が、のちに社民党から立候補する縁につながったと語っています。
さらに1998年には、自身が勤務していた病院で兄を医療事故で亡くしました。
母と兄という近しい家族を医療の現場で失った経験が、政治家を志す原点になっています。
当選後に厚生労働委員会へ所属し、医療安全や医療事故調査制度に力を注いできた背景がここにあるようです。
阿部知子の経歴は小児科医から議員
阿部知子さんの経歴は、東京大学医学部を卒業して小児科医となり、26年の臨床経験を経て国政に転じたという流れです。
| 年 | 主な経歴 |
| 1967年 | お茶の水女子大学附属高校を卒業 |
| 1974年 | 東京大学医学部医学科を卒業 |
| 1977年〜1980年 | 稲田登戸病院小児科に勤務 |
| 1980年〜1983年 | 国立小児病院神経科に勤務 |
| 1983年〜1993年 | 東大病院小児科に勤務 |
| 1993年〜1994年 | 米国メイヨークリニック疫学部に留学 |
| 1994年〜1999年 | 湘南鎌倉総合病院などに勤務 |
| 1999年〜2000年 | 千葉徳洲会病院院長 |
| 2000年6月 | 衆議院議員に初当選 |
| 2003年 | 藤沢・湘南台にこどもクリニックを開設 |
立候補を勧められたとき、背中を押したのは徳洲会の徳田虎雄理事長だったと本人が明かしています。
弱い立場の患者に接する医師には選挙の経験が大事だと送り出されたそうです。
1995年の参院選に平和・市民から出馬して落選し、6年間で3回の国政選挙に挑んだ末、2000年に社民党から初当選しました。
その後は社民党政策審議会長を9年務め、2012年に離党して日本未来の党の結党に参加し、代表も経験しています。
2017年には立憲民主党の結党メンバーとなり、超党派の「原発ゼロ・再エネ100の会」や「人道外交議員連盟」で事務局長を担ってきました。
2025年には当選9回・在職25年で永年在職議員表彰を受けています。
2026年2月の衆院選では神奈川12区で落選し、同年6月に中道改革連合を離党したことを明らかにしました。
議席を離れたあとも、平和や再生可能エネルギーをめぐる活動は続けていく考えを示しているようです。
まとめ
今回は、阿部知子さんの家族構成と、夫や娘・孫のこと、兄や実家のエピソードから小児科医としての経歴まで調査しました。
- 阿部知子さんは1948年4月24日生まれ、東京都目黒区出身の小児科医で、衆議院議員を9期25年務めました。
- 家族構成で本人が語っているのは夫と娘、そして孫たちです。夫の名前や職業、子供の人数は公表されていません。
- 娘は30年以上アメリカで暮らしてグリーンカードを持ち、孫はアメリカ生まれでアメリカ国籍だとSNSで明かしています。
- 実家は東京都目黒区で、兄弟は兄が1人。母を1978年に救急搬送の末に亡くし、1998年には兄を医療事故で亡くしています。
- 経歴は東京大学医学部卒業後に小児科医となり、千葉徳洲会病院院長を経て2000年に初当選。2026年2月の衆院選では落選しました。
議席を離れたあとも小児科医としての視点から、子どもや平和をめぐる発信をどう続けていくのか注目したいですね。
