お笑いコンビ「パックンマックン」で活躍しながら、大学の教壇にも立つパックンことパトリック・ハーランさん。
情報番組での鋭いコメントから「頭いい」と評判で、その学歴やハーバード大学出身という経歴に驚いた人も多いですよね。
今回は、パックンさんの出身地や高校、大学の学部と首席の話、なぜ日本の福井に来て芸人になったのか、相方との出会いまで調査しました。
パックンの学歴と出身地は?
パックンさんの最終学歴は、アメリカのハーバード大学比較宗教学部卒業です。
出身地はコロラド州コロラドスプリングスで、生まれはモンタナ州になります。
空軍に勤めていた父親の転勤で各地を移り、コロラドで少年時代を過ごしました。
パトリック・ハーランさんの基本情報と学歴を、次の表にまとめました。
| 項目 | 内容 |
| 本名 | パトリック・レイモンド・ハーラン |
| 生年月日 | 1970年11月14日 |
| 出身地 | コロラド州コロラドスプリングス |
| 出生地 | モンタナ州 |
| 高校 | 地元の公立高校(首席で卒業) |
| 大学 | ハーバード大学(比較宗教学部) |
| 大学卒業 | 1993年 |
高校も大学も、10歳から続けた新聞配達と両立しながら通っています。
母子家庭の苦しい家計の中で手にした学歴でした。
母子家庭で育った背景など、パックンさんの生い立ちについては、こちらの記事で詳しくまとめています。
パックンの学歴|高校は首席卒業
パックンさんは、地元コロラドの公立高校を首席で卒業しています。
高校の名前は明かされていませんが、その高校から初めてハーバード大学に進んだ生徒だったそうです。
高校時代は毎朝3時に起き、最大440軒ほどの新聞を配っていました。
それでも成績は中学時代からずっとオールAでした。
放課後は部活にも打ち込み、板飛び込みやビーチバレーで何度も表彰されています。
パックンさんは本人いわく、「高校時代はそんなに頑張らなくても成績がよかった」のだとか。
新聞配達で月10万円ほど稼ぎ、食費以外はすべて自分でまかなっていました。
頭いいと言われる理由
パックンさんが頭いいと言われるのは、子どもの頃から勉強が飛び抜けていたからです。
小学3年生のときには、成績優秀な子が入る「タレンテッド&ギフテッドクラス」に選ばれていました。
日本に来てからは独学で日本語を学び、わずか2年で日本語能力試験1級に合格しています。
母親から「脳を使う仕事に就きなさい」と言われて育ったことも、学ぶ姿勢の土台になったそうです。
パックンの学歴|出身大学はどこ?
パックンさんの出身大学は、世界屈指の名門ハーバード大学です。
スタンフォード、カリフォルニア大学バークレー校、プリンストンなどにも出願しましたが、すべて不合格でした。
ハーバードだけに受かったと、本人が明かしています。
ハーバードは補欠から合格
実はハーバードへの合格は、最初は補欠扱いでした。
アメリカの入試は学科試験の比重が小さく、高校の成績や課外活動、面接で総合的に評価されます。
面接では新聞配達のことをいろいろ聞かれたそうです。
実は、最初は補欠でした。繰り上がり合格したのは、“この人生”だったからです
引用元: 週刊女性PRIME
8年間続けた新聞配達の話を聞いた審査官の1人が、強く推してくれたといいます。
学部は比較宗教学
パックンさんの学部は比較宗教学部です。
入学後のテストで点数がよかったため、最初は物理学の専攻を勧められました。
ところが授業がまったく分からず、もともと好きだった聖書や神話を学べる比較宗教学に変えています。
小さい頃から異文化にひかれていたことも、専攻選びの理由だったそうです。
大学では首席だった?
ハーバード大学を首席で卒業したという話は確認できませんでした。
首席で卒業したのは高校のほうです。
大学では卒業時に、成績上位20%の学生に贈られる勲章を受けています。
在学中はトラック運転手やバーテンダーのアルバイトをし、バレーボール部や演劇部にも参加していました。
合唱団では部長を務めるなど、勉強以外も全力で楽しんだようです。
俳優のマット・デイモンさんとは、短い期間ですが同じ時期に在籍していました。

補欠から合格して勲章までもらって卒業するのは、本当にすごいですね。
パックンはなぜ日本に?福井に来た理由
パックンさんが日本に来たのは、中学時代からの幼なじみに誘われたからです。
その友人は文部省(当時)のプログラムで、福井県の中学校で英語を教えることになっていました。
ハーバード大学を卒業したばかりのパックンさんは、「なんだか面白そう」と二つ返事でついて行ったそうです。
母親には「1年だけ行ってきます」と伝えての来日でした。
1993年に福井市に着くと、まず駅前の交番で英会話学校の場所を聞いています。
教えてもらった3軒目の学校で採用され、英会話講師として働き始めました。
手取りは20万円ほどでしたが、100万円を超える奨学金の返済もあり、暮らしは楽ではなかったようです。
福井では、英語をほとんど話さない人たちと積極的に付き合い、日本語を身につけました。
地元のアマチュア劇団に入り、ラジオ局でDJも務めています。
パトリック・ハーランさんは今も福井を「第2のふるさと」と呼び、ふくいブランド大使や福井市観光大使も務めています。
福井での暮らしに続いて気になるパックンさんの妻については、こちらの記事で詳しくまとめています。
パックンはなぜ芸人に?相方との出会い
パックンさんが芸人になったのは、役者として有名になるための近道だと考えたからです。
もともとの夢は役者で、1996年に福井から上京しました。
英会話講師をすると食べていけてしまうため、芸能の仕事だけで生活すると決めていたそうです。
なぜお笑いを選んだ?
上京後、モデルやエキストラの仕事はあっても、ドラマの主人公の友人役や恋人役は回ってきませんでした。
1年ほどたって、外国人が日本のドラマで役をつかむには、自分が有名になるしかないと気づいたといいます。
アメリカではコメディアンが俳優を兼ねることも多く、お笑いは日本のユーモアを学ぶいい機会だと考えたそうです。
相方マックンとの出会い
相方のマックンこと吉田眞さんとは、共通の知人の紹介で出会いました。
知人は2人にそれぞれ「あなたに会いたがっている人がいる」と伝え、レストランに呼び出したそうです。
その日のうちに飲みに行って夢を語り合い、1997年に「パックンマックン」を結成しました。
| 項目 | パックン | マックン |
| 本名 | パトリック・ハーラン | 吉田眞 |
| 生年月日 | 1970年11月14日 | 1973年3月26日 |
| 出身地 | アメリカ・コロラド州 | 群馬県富岡市 |
| 学歴 | ハーバード大学卒業 | 群馬県立吉井高校卒業 |
結成直後には、ツッコミで叩かれることにパックンさんが怒り、大げんかになったこともあります。
それをきっかけに、日米コンビならではの笑いを2人で探していきました。
結成から2年半で全国ネットのレギュラーをつかみ、『爆笑オンエアバトル』でも活躍しています。
パックンの経歴|芸人で大学講師に
パックンさんは芸人として活動しながら、複数の大学で講師や客員教授を務めています。
大学での主な経歴を、次の表にまとめました。
| 年 | 大学での経歴 |
| 2008年 | 相模女子大学 客員教授 |
| 2012年 | 東京工業大学(現・東京科学大学)非常勤講師 |
| 2021年 | 流通経済大学 客員教授 |
| 2024年 | 関西大学 客員教授 |
ハーバード大学で学んだことと芸人の話術を組み合わせ、コミュニケーションの授業を受け持っています。
東工大と東京科学大学での講義
パックンさんは2012年10月、池上彰さんの推薦で東京工業大学の非常勤講師になりました。
担当しているのは、コミュニケーションと国際関係についての講義です。
課題があまりに多く、受講生が300人から40人に減ったこともあると笑って話しています。
東京工業大学は2024年10月に東京医科歯科大学と統合し、東京科学大学になりました。
パトリック・ハーランさんは統合後も講義を続けています。
流通経済大学の客員教授
パックンさんは2021年度から、流通経済大学の客員教授を務めています。
国際文化ツーリズム学科のゼミに飛び入りで参加したり、付属柏中学校の入学式で講話をしたりしています。
大学の公式サイトには、本人のユーモアあふれるメッセージが載っています。
僕の経歴の中に「流通」や「経済」の要素が見当たりませんよね?
引用元: 流通経済大学
このあとには、コミュニケーション力や想像力も大学生にとって大切な学びだという言葉が続きます。

芸人と大学の先生を両立しているのは、パックンさんならではの経歴ですね。
まとめ
今回は、パックンさんの学歴や経歴、日本に来て芸人になった理由を調査しました。
- パックンさんの出身地はコロラド州コロラドスプリングスで、地元の公立高校を首席で卒業しています。
- 出身大学はハーバード大学で、学部は比較宗教学部です。補欠から繰り上がって合格しました。
- 日本に来たのは幼なじみに誘われたためで、1993年から福井で英会話講師をしていました。
- 芸人になったのは役者として有名になるためで、1997年に相方のマックンとコンビを組みました。
- 東京科学大学(旧・東工大)の非常勤講師や、流通経済大学の客員教授も務めています。
新聞配達をしながらつかんだ学歴を生かし、芸人と大学講師の両方で活躍しているパックンさん。
これからも、テレビと教壇での活躍に注目したいですね。


