一力遼さんを破り、20歳6か月で史上最年少の本因坊となった囲碁棋士の福岡航太朗さん。
小学4年生で単身韓国へ渡ったという異色の経歴から、その決断を後押しした父親や母親がどんな人なのか気になる人も増えていますよね。
今回は、福岡航太朗さんの父親について、母親や兄弟を含めた家族構成、高校・大学の学歴まで調査しました。
福岡航太朗の父親は?プロフィールも
福岡航太朗さんの父親は一般の方で、名前や職業は公表されていません。
ただ、師匠である洪清泉さんの洪道場が公式サイトで、父親とのやりとりを明かしています。
そこからは、息子に「世界一」を本気で求めた、志の高い父親像が見えてきます。
まずは福岡航太朗さん本人のプロフィールです。
| 項目 | 内容 |
| 名前 | 福岡 航太朗(ふくおか こうたろう) |
| 生年月日 | 2005年12月22日 |
| 出身地 | 東京都杉並区 |
| 所属 | 日本棋院東京本院 |
| 師匠 | 洪清泉四段 |
| 段位 | 八段 |
| 趣味 | フットサル・語学の勉強 |
杉並区で生まれ育った東京っ子で、韓国語を話せるのも特技のひとつです。
父親が語った「世界一」への思い
転機は小学3年生の冬に訪れました。
こども棋聖戦の低学年の部で全国優勝したあと、両親が洪さんと面談しています。
そのとき父親が口にしたのが、次の言葉でした。
「本人はプロになりたいと言っていますが、プロになるなら中国韓国に勝つ棋士、世界一になって欲しいです」とお父さん。
引用元: 洪道場公式サイト
「プロになれればいい」ではなく、最初から世界を見据えていたのが印象的ですね。
洪さんは別の記事でも、韓国留学は「世界で活躍するためには世界の碁を知るべき」という父親の考えがあって実現した、と振り返っています。
父親が韓国に行ったのは一度だけ
福岡航太朗さんの韓国留学中、父親が現地を訪ねたことはほとんどなかったようです。
洪さんによると、父親が韓国に行ったのはプロ入りが決まり、お礼に出向いたときだけでした。
両親は仕事があったため、福岡さんはビザの関係で日韓を行き来する生活を、ずっと一人でこなしていたのです。
厳しくも息子を信じて任せる父親だったのかもしれませんね。
福岡航太朗の父親と母親の関わり方
福岡航太朗さんの母親も一般の方で、名前や職業は公表されていません。
洪道場の記事に「お父さんもお母さんも仕事がある」とあることから、両親は共働きだったと分かります。
留学中に親が送り続けたもの
韓国での生活は朝6時に起きて、夜11時半まで囲碁を勉強するという過酷なものでした。
その支えになったのが、親から届く一流アスリートの本や雑誌だったそうです。
生活やメンタルの整え方が書かれた本を読んで、気持ちを強く保っていたといいます。
福岡航太朗さん本人も、韓国留学のきっかけを作ったのは親だったと明かしています。
道場の仲間が留学するのを見て自分も行きたいと思いながら、家庭の経済事情を気にして言い出せなかったそうです。
ほかの子の留学に親が気づいたことで、ようやく気持ちを伝えられたといいます。
「やめたら?」と言われた日
両親はただ甘やかしていたわけではありません。
小学5年生と6年生で受けたプロ試験は、どちらも予選で敗退しています。
このとき福岡航太朗さんは親から「やめたら?」と言われ、囲碁を続けられるのか不安になったそうです。
中学1年生で臨んだ本番のプロ試験でも、9局を終えた時点で4敗と追い込まれました。
「親はめっちゃ怒って。意地を見せなさいって。あとすべて勝たないとプロになる道はない」と奮起。
引用元: Number Web
この言葉に奮い立ち、残り6局を全勝してプロ入りを決めました。
厳しさの裏にも、親の深い愛情が感じられますよね。
福岡航太朗の兄弟・家族構成
福岡航太朗さんの家族構成は、父親・母親・本人を含む家族で、兄弟の有無は公表されていません。
インタビューで語られているのは両親との思い出が中心で、兄弟がいるかどうかの話は出てきていないようです。
囲碁との出会いには、祖父も関わっています。
| 家族 | 分かっていること |
| 父親 | 一般の方。世界一を目指すよう韓国留学を後押し |
| 母親 | 一般の方。父親とともに仕事をしていた |
| 祖父 | 自宅に碁盤があった(五目並べのみ) |
| 兄弟 | 非公表 |
福岡航太朗さんが囲碁に興味を持ったのは4歳のときで、祖父の家にあった碁盤がきっかけでした。
ただ、祖父は五目並べしかできなかったので、ルールは教わっていません。
その後、日曜日のNHKの囲碁番組を一人で見て「やってみたい」と思ったそうです。
家族で神経衰弱をすると、すぐにカードの場所を覚えて親を驚かせていたというエピソードもあります。
幼い頃から記憶力の良さは際立っていたようですね。
福岡航太朗の学歴・高校や大学
福岡航太朗さんの学歴で確認できるのは小学校までで、高校や大学の情報は公表されていません。
小学校は難関の筑波大学附属小学校に合格しています。
入学前の1月からは、囲碁のほかにサッカーや水泳、体操、縄跳びも習っていたそうです。
| 時期 | 学歴・出来事 |
| 小学校入学 | 筑波大学附属小学校に合格 |
| 小学2年 | 洪道場に入塾 |
| 小学4年 | 単身で韓国に囲碁留学 |
| 留学中 | 地元の公立小学校に転校 |
| 中学1年 | 日本棋院の院生に。同年プロ試験に合格 |
韓国との行き来で学校の勉強が追いつかなくなり、小学校は地元の公立校に移りました。
中学校の校名は公表されていません。
中学1年生の時点で、すでにプロ棋士としての道を歩み始めています。
高校や大学に進学したかどうかも分かっていません。
10代前半からプロとして公式戦を戦ってきたので、学業より囲碁に打ち込む日々だったのかもしれませんね。
福岡航太朗の経歴
福岡航太朗さんの経歴は、父親が思い描いた「世界と戦う棋士」の道をまっすぐ進んできたものです。
院生になってからは114連勝を記録し、最下位のEクラスからAクラスまで最短で駆け上がりました。
| 年 | 主な経歴 |
| 2014年 | こども棋聖戦の低学年の部で優勝 |
| 2016年 | こども棋聖戦の高学年の部で優勝 |
| 2017年 | ジュニア本因坊戦で優勝 |
| 2019年 | 13歳3か月で入段(プロ入り) |
| 2021年 | 聶衛平杯で日本の初優勝に貢献 |
| 2022年 | グロービス杯で準優勝 |
| 2024年 | 竜星戦で優勝し七段に昇段 |
| 2026年 | 俊英戦で優勝、本因坊を獲得し八段に |
本因坊の獲得は20歳6か月で、石田芳夫さんが持っていた記録を55年ぶりに更新しました。
その後は王座戦でも挑戦者になっています。
本人が掲げる目標は「世界戦優勝」で、父親が語った「世界一」と重なりますね。
まとめ
今回は、福岡航太朗さんの父親について、母親や兄弟を含めた家族構成、高校・大学の学歴、経歴まで調査しました。
- 福岡航太朗さんの父親は一般の方で、名前や職業は公表されていません。
- 父親は「中国韓国に勝つ棋士、世界一になってほしい」と考え、小学4年生での単身韓国留学を後押ししました。
- 母親も一般の方で、両親は共働きでした。留学中は親が一流アスリートの本を送り、心の支えになっていました。
- 家族構成は両親と本人で、兄弟の有無は公表されていません。囲碁に出会ったのは祖父の家の碁盤がきっかけです。
- 学歴は筑波大学附属小学校から地元の公立小学校に転校しています。中学校の校名や高校・大学の情報は公表されていません。
- 13歳3か月でプロ入りし、2026年に20歳6か月で史上最年少の本因坊を獲得しました。
父親が願った「世界一」の夢を、これからどこまで実現していくのか楽しみですね。
