玉川祐子の現在は現役曲師?子供・夫と家族構成|師匠や弟子は?

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玉川祐子現在 伝統芸能
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茨城県笠間市の出身で、浪曲の三味線を担う曲師として100歳を超えても舞台に立ち続けている現役最高齢の芸人・玉川祐子さん

浅草・木馬亭で若手の浪曲師に三味線を合わせる姿が大きな話題を呼び、玉川祐子さんの現在の暮らしや家族構成が気になる人も増えています。

今回は、玉川祐子さんの現在の活動と暮らしぶりに加えて、子供や夫のこと、師匠や弟子との関係まで調査しました。

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玉川祐子の現在は現役最高齢の曲師

玉川祐子さんは現在も、浪曲師の語りに三味線を合わせる曲師として舞台に立っています。

1922年10月1日生まれで、2026年10月に104歳を迎えます。

日本浪曲協会に所属し、現役最高齢の芸人として知られる存在です。

項目内容
芸名玉川祐子(たまがわ ゆうこ)
本名中村りよ
生年月日1922年10月1日
出身地茨城県笠間市片庭
職業浪曲曲師
入門1940年(17歳)
初舞台1941年・三ノ輪の三友亭
所属日本浪曲協会

活動歴は80年を超え、名前も「鈴木照千代」「高野りよ」を経て現在の玉川祐子になりました。

曲師に転向したのは1942年、木馬亭への初出演は1972年のことです。

近年の活動も途切れていません。

数か月に1回のペースで浅草の木馬亭に向かい、三味線を手に高座を支えています。

2024年2月には故郷のかさま応援大使に就任し、同年6月には笠間市で就任記念公演も行われました。

主な出来事
2022年「祝・百寿記念 玉川祐子の会」開催、著書『100歳で現役! 女性曲師の波瀾万丈人生』刊行
2023年映画『絶唱浪曲ストーリー』に出演、笠間市で80年ぶりの凱旋公演
2024年かさま応援大使に就任、『NHK浪曲特選・夏』に出演

記念公演の後にホテルで転倒して腰の骨を折り、半年間入院したこともありました。

それでも病院に三味線を持ち込んでもらい、リハビリ中は一人暮らしに戻ると繰り返していたそうです。

誰かに喜んでもらえる限り、これからも前を向いて、舞台で弾き続けていきたいですね

引用元: サライ

若手の浪曲師・玉川太福さんとの交流も有名で、太福さんは『祐子のスマホ』『祐子のセーター』という創作浪曲を持ちネタにしています。

その高座で玉川祐子さん本人が三味線を弾くこともあるというのが、なんとも豪華ですね。

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玉川祐子の現在の家族構成と子供

玉川祐子さんの子供は4人生まれ、現在は娘と息子の2人が健在です。

最初の夫との間に3男1女を授かりましたが、次男と三男は幼いうちに亡くなっています。

家族内容
最初の夫同門の浪曲師・東光軒満月(のちに離婚)
再婚相手浪曲師・玉川桃太郎(2015年に死去)
長女1945年生まれ
長男1947年生まれ
次男・三男幼い頃に病気で亡くなっている

次男は3歳で赤痢により、三男は7歳でがんにより亡くなりました。

三男は3歳から歌を歌い始め、4歳で舞台に立つ子役スターだったといいます。

玉川祐子さんは治療費を稼ぐために曲師の仕事をいったん離れ、東京で住み込みの家政婦として働いた時期もありました。

娘と息子については、本人がインタビューで元気な様子を明かしています。

今は子供が2人いるけど、娘は昭和20年(1945年)生まれで、息子は22年(1947年)生まれ。2人とも元気です。

引用元: 介護ポストセブン

現在は都内で一人暮らしをしていて、娘さんが週に2、3回ほど通って買い物などを手伝っているそうです。

息子さんは遠出のときに車を出してくれるといいます。

3食の料理と掃除は自分でこなしているそうで、家族に支えられながらも自立した暮らしを続けているのが玉川祐子さんらしいところですね。

なお、玉川祐子さん自身は6人兄弟の2番目として生まれ育ちました。

小学校を卒業するとすぐ、笠間の呉服屋へ子守奉公に出されています。

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玉川祐子の夫は?2度の結婚と現在

玉川祐子さんの夫は、40年にわたりコンビを組んだ浪曲師の玉川桃太郎さんです。

ただし結婚は2度で、最初の夫も同じ一門の浪曲師でした。

最初の結婚は1945年3月、修業の年季が明けた直後のことです。

相手は同門の浪曲師・東光軒満月さんで、兄弟子からの強い求婚を受け入れた形だったと語られています。

結婚直後に東京大空襲に遭い、三味線を抱えて逃げて夫の実家がある埼玉県深谷へ疎開しました。

その後、夫は浪曲界を離れて会社勤めに転じます。

1970年に浅草の定席(現在の木馬亭)が復活すると曲師が足りなくなり、玉川祐子さんに声がかかりました。

しかし夫は三味線を弾くことに強く反対し、48歳のときに家を出てひとり暮らしを始めることになります。

時期夫との出来事
1945年同門の浪曲師・東光軒満月と結婚
1960年頃三男の病気を機に曲師を休業
1970年代曲師に復帰、反対していた夫と離婚
1975年浪曲師・玉川桃太郎と再婚
2015年玉川桃太郎が死去

再婚したのは53歳のとき、相手は52歳の玉川桃太郎さんでした。

この再婚を機に芸名を玉川祐子へと改め、桃太郎さんが2015年に亡くなるまで約40年、その相三味線を務めています。

本人は手を上げられたことは一度もなかったと振り返り、声と節の素晴らしさに惹かれたと語っていました。

好きな人の横で三味線を弾けた日々が、何よりの幸せだったのでしょうね。

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玉川祐子の師匠と弟子は?現在も稽古

玉川祐子さんの師匠は浪曲師の鈴木照子さんで、現在は港家小そめさんの預かり弟子として稽古をつけています。

師匠から弟子へと、浪曲の芸が確かに受け渡されているかたちです。

師匠は鈴木照子で17歳入門

玉川祐子さんが入門したのは1940年、17歳のときでした。

子守奉公先の隣にあったレコード屋から流れる浪曲に惹かれ、浪曲師になりたいと父親を説き伏せて上京しています。

浅草の興行社に飛び込んで紹介されたのが、7歳で初舞台を踏み「少女横綱」と謳われた天才・鈴木照子さんです。

照子さんは玉川祐子さんより3つ年下で、実際の稽古は照子さんの母親がつけてくれたといいます。

「鈴木照千代」の名で舞台にも上がりましたが、1年ほどで声が硬くこぶしが回らないと言われ、曲師への転向を突きつけられました。

本番中に浪曲師から睨まれ、終演後に三味線を罵倒されて涙をこぼした日もあったそうです。

それでも歯を食いしばって弾き続けた先が、今の現役最高齢という記録につながっています。

預かり弟子は港家小そめ

現在、玉川祐子さんが稽古をつけているのは浪曲師の港家小そめさんです。

小そめさんは玉川祐子さんの友人だった五代目港家小柳さんの弟子で、小柳さんが85歳のときに入門しました。

弟子を取るのは小柳さん、協力するのは自分という約束のもと、2018年に小柳さんが90歳で亡くなってからは玉川祐子さんが預かり弟子として引き受けています。

小そめさんが木馬亭に出るときは、玉川祐子さんが三味線を弾いてきました。

小そめさんは週に1回ほど自宅に通い、稽古とあわせて身の回りの手伝いもしているそうです。

孫ほど年の離れた師弟が高座で並ぶ姿は、浪曲ファンにとって何よりの楽しみになっているようですね。

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まとめ

今回は、玉川祐子さんの現在の活動と暮らしぶりに加えて、子供や夫のこと、師匠や弟子との関係まで調査しました。

  • 玉川祐子さんは1922年10月1日生まれ、茨城県笠間市出身の浪曲曲師で、現役最高齢の芸人として現在も浅草・木馬亭の舞台に立っています。
  • 2024年2月にかさま応援大使へ就任し、記念公演のあとに腰の骨を折って半年入院しながらも舞台へ復帰しました。
  • 子供は4人生まれ、次男と三男を幼いうちに亡くし、現在は1945年生まれの娘と1947年生まれの息子が健在です。
  • 家族構成は最初の夫と離婚したのち、1975年に浪曲師の玉川桃太郎さんと再婚。現在は都内で一人暮らしをしています。
  • 師匠は17歳で入門した浪曲師の鈴木照子さんで、1942年に曲師へ転向しました。
  • 弟子は五代目港家小柳さんから引き継いだ預かり弟子の港家小そめさんで、今も自宅で稽古をつけています。

灰になるまで頑張りたいと語ってきた玉川祐子さん。

三味線の音が客席を揺さぶる舞台を、これからも長く見守っていきたいですね。

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