『極道の妻たち』シリーズの4代目「極妻」を演じ、映画『長崎ぶらぶら節』で日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞した高島礼子さん。
元レースクイーンという経歴や、13年にわたって続けた父親の介護を語る姿から、育った家庭が気になる人も増えていますよね。
今回は、高島礼子さんの実家と家族構成、茨城出身の両親や父親の職業、母親の死因まで調査しました。
高島礼子の実家は横浜市のどこ?
高島礼子さんの実家は、神奈川県横浜市にあります。
出身は横浜市戸塚区で、生まれも育ちも横浜です。
女優としての歩みとあわせて、プロフィールをまとめておきます。
| 項目 | 内容 |
| 本名 | 峯島 礼子(みねしま れいこ) |
| 生年月日 | 1964年7月25日 |
| 出身地 | 神奈川県横浜市戸塚区 |
| 身長 | 168cm |
| 血液型 | B型 |
| 出身高校 | 神奈川県立野庭高等学校 |
| 所属事務所 | 太田プロダクション |
子ども時代の実家は、駅まで必ずバスに乗らなければならない場所にあったそうです。
そのため15歳まで行動範囲はとても狭く、16歳で原付免許を取ったことで世界が一気に広がったと語っています。
高校卒業後は横浜市内の自動車関連会社に就職し、3年間OLとして働きました。
車やバイクへのきっかけが実家の立地だったというのは、意外な話ですね。
両親は茨城県出身
高島礼子さんの両親は、ともに茨城県の出身です。
本人もインスタグラムで、自身は横浜生まれの横浜育ちで両親が茨城県だと説明しています。
父の故郷は東茨城郡城里町下圷(しもあくつ)で、その縁から高島礼子さんは「しろさと大使」に任命されました。
大使としての初仕事では1日町長も務め、子どもの頃は夏休みのほとんどを城里町で過ごしたと振り返っています。
干し芋や御前山饅頭は、家族で争奪戦になるほどの思い出の味だそうです。
先祖のほとんども茨城にルーツがあり、NHK『ファミリーヒストリー』でもその歴史がたどられました。
横浜育ちでありながら、茨城が第二のふるさとになっているようですね。
高島礼子の家族構成と兄弟は?
高島礼子さんの家族構成は、父・母・姉と本人を含む4人家族です。
兄弟については姉がいることが分かっており、それ以上の人数は公表されていません。
姉とは今も親交が深く、インスタグラムでは姉とのランチや、姉妹といとこを交えたスイーツ女子会の様子を公開しています。
姉が写った2ショットではスタンプで顔が隠されていて、「とても美女」と紹介されていました。
父の介護の場面でも実姉の家族が力を貸しており、家族で支え合ってきた様子がうかがえます。
なお高島礼子さんは1999年に俳優の高知東生さんと結婚し、2016年に離婚を発表しました。
子どもはいません。
姉妹の仲の良さが伝わってきて、ほほ笑ましいですね。
離婚から時間が経った今、高知東生さんの現在も気になるところですね。
高島礼子の父親の職業は教授?
高島礼子さんの父親・峯島武さんの職業は、英語を教える教育者でした。
現役時代は大学で英語を教えており、高校でも教壇に立っていたことを本人が明かしています。
ただ、「教授」という具体的な役職名までは公表されていません。
若い頃は温厚な人気教師だったものの、あるとき突然退職しており、その事情はNHK『ファミリーヒストリー』で取り上げられました。
家庭では厳格な父親で、見てよいテレビはNHK大河ドラマと『暴れん坊将軍』くらいだったと語られています。
芸能界入りにも猛反対されましたが、意思の固さに根負けし、その後は一番の理解者になってくれたそうです。
一方、母親は理解のある人でした。
父親は教育者だったのでうるさかったですけど、母親はとても理解のある人で、バイクもクルマも、最初は母が買ってくれました。
引用元: WebLEON
厳しい父と自由にさせてくれた母、その両方が今の高島礼子さんをつくったのかもしれませんね。
高島礼子の父の介護と現在は?
高島礼子さんの父親は、2023年に他界しています。
13年間の介護生活を経ての別れでした。
異変が表れたのは父が80歳を迎える少し前で、前屈みでヨロヨロと歩くようになったといいます。
最初は年齢のせいだと考えていましたが、複数の病院で検査を受けた結果、パーキンソン病と診断されました。
高島礼子さんが40歳の頃のことです。
その後は横浜の実家に都内から頻繁に通う日々が続きました。
やがてヘルパーや家政婦5〜6人がシフトを組み、24時間態勢で介護にあたるようになります。
実姉の家族や当時の夫だった高知東生さんも協力しました。
2016年には体調が悪化し、胃に直接栄養を送る胃ろうにも踏み切っています。
父の死は、クレジットカード会員誌のインタビューで本人が明かしました。
亡くなるまでの13年間。私も一生懸命介護に携わりました。父も私も精いっぱいやったので悔いはありません
引用元: NEWSポストセブン
仕事と介護を両立させた13年は、想像を超える重さだったのでしょうね。
当時の夫だった高知東生さんの生い立ちには、複雑な家庭環境があったといいます。
高島礼子の母親の死因はがん
高島礼子さんの母親の死因は、がんです。
高島礼子さんが20歳のときに亡くなりました。
進行が早く、がんだと分かってから半年ほどで他界したと語られています。
当時勤めていた会社を辞め、看病に専念したそうです。
母親はアルバイト先のガソリンスタンドへスクーターで乗り付けるような、ファンキーでかわいい人だったと振り返っています。
レース活動も内緒にしていましたが、費用を援助してくれていたのは母でした。
NHK『ファミリーヒストリー』では、少女時代の母の写真が近所でも評判だったと紹介され、高島礼子さん自身も驚きの声を上げていました。
親孝行できなかった後悔が、その後の父への介護につながったといいます。
母への思いが今も演技の土台になっているようですね。
まとめ
今回は、高島礼子さんの実家と家族構成、茨城出身の両親や父親の職業、母親の死因、兄弟について調査しました。
- 高島礼子さんの実家は神奈川県横浜市で、出身は戸塚区です。駅までバスが必要な立地で、詳しい所在地は公表されていません。
- 両親はともに茨城県出身で、父の故郷である城里町の「しろさと大使」に任命されています。
- 家族構成は父・母・姉と本人の4人家族です。兄弟は姉がいることが分かっており、人数はそれ以上公表されていません。
- 父親・峯島武さんの職業は教育者で、大学と高校で英語を教えていました。教授という役職名は公表されていません。
- 父親は2023年に他界し、パーキンソン病の発覚から13年間、仕事と介護を両立させてきました。
- 母親の死因はがんで、高島礼子さんが20歳のときに亡くなっています。
厳しい父と自由にさせてくれた母のもとで育った経験は、これからの役柄にも生き続けるのでしょうね。


