映画『無能の人』で日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受けた女優の風吹ジュンさん。
12歳で両親が離婚し、中学時代は兄と2人で暮らしたという半生が知られていて、その家族のことが気になる人も多いですよね。
今回は、風吹ジュンさんの母親の人物像と、京大出身の父親や兄との関係、家族構成や富山の実家での生い立ちまで調査しました。
風吹ジュンの母親はどんな人?
風吹ジュンさんの母親は、和歌山県有田市出身の堀川ミサさんです。
ミサさんは10歳で父を、16歳で母を亡くしています。
生活は苦しく、若いうちから生計を立てるために工場街の飲食店へ働きに出ていました。
最初の夫は太平洋戦争で亡くなり、3年たらずでよりどころを失っています。
その後に向かった京都で、3歳年下の京大生だった小林章さんと出会いました。
12歳の時に両親は離婚する。父章さんは富山出身の京大生。母ミサさんは和歌山出身で京都で父章さんと出会う。
引用元: 日刊スポーツ
ただ、母娘の関係は良好というものではなかったようです。
ミサさんは厳しい人で、風吹ジュンさんや兄を拒むところがあったといいます。
寒い日に母の着物の袖口へ手を入れようとすると、そのたびに叩かれたと本人が振り返っています。
理由がわかったのは、風吹ジュンさんが20歳になったときでした。
ミサさんにはもともと2人の子どもがいて、章さんと出会ったことで家を出た過去を打ち明けられたそうです。
捨ててきた家族への思いをずっと引きずり、深い苦しみを抱えていたのだろうと風吹ジュンさんは受け止めています。
ミサさんは晩年に認知症となり、最期は兄がいる京都の病院で見送られました。
長い葛藤を抱えた母娘でしたが、最後に本音を知れたことは大きかったようですね。
風吹ジュンの父親は京大出身の教師
風吹ジュンさんの父親は、京都大学工学部を出て高校教員になった小林章さんです。
富山県八尾町のルーツを持つ家に生まれ、曽祖父は鍛冶屋を営む地元の名士だったといいます。
旧制高岡中学(現・高岡高校)出身で、文武両道のきまじめな性格に育ちました。
ティッシュを捨てるときは畳んでから捨てるほど几帳面な人だったそうです。
旧制中学を卒業した1941年に太平洋戦争が始まり、章さんは浜松教導飛行師団に配属されます。
戦局が悪化した1945年3月には特攻隊に志願しますが、出撃の直前に終戦を迎えました。
「自分は国の役に立てなかった」という失意を抱えたまま、1946年に京大工学部へ進学しています。
そしてこの京都で、母となるミサさんと出会うことになりました。
風吹ジュンさんはこの父の歩みについて「生きてないと私いませんもんね」としみじみ語っています。
両親の離婚後、父娘は半世紀以上も会わない関係が続きました。
「53年ぶりに再会したんですよね。小学校5年生で両親が離婚することになりまして。父は私を呼んでくれていたんですけど、断って母のところに行ったんですよね。私の意思で。
引用元: 女性自身
再会したとき、章さんは要介護3の状態で病院のベッドに横たわっていたそうです。
風吹ジュンさんは大阪での撮影の合間に、奈良の病院へ幾度となく通ったといいます。
章さんは2021年に96歳で亡くなり、風吹ジュンさんは葬儀まで見届けました。
親子の時間を取り戻せたことが、何よりの救いになったのかもしれませんね。
風吹ジュンの家族構成と両親の離婚
風吹ジュンさんの家族構成は、両親と3歳年上の兄を含む4人家族です。
判明している家族の情報をまとめると、次のようになります。
| 続柄 | 内容 |
| 父 | 小林章さん。富山県出身で京大工学部卒の高校教員 |
| 母 | 堀川ミサさん。和歌山県有田市出身 |
| 兄 | 3歳年上の兄が1人。名前は非公表 |
| 本人 | 1952年5月12日生まれ。本名は堀川麗子 |
両親はともに再婚どうしではなく、母のミサさんが前の家族と別れて章さんと結ばれた形でした。
長男が生まれたタイミングで一家は鹿児島へ移り住みますが、章さんの母から富山に呼び戻されています。
その富山で風吹ジュンさんが生まれ、順風満帆に見える生活が始まりました。
しかし家庭の空気は早い時期から冷え切っていたそうです。
父に別の女性ができ、8年近く険悪な状態が続いた末に両親は離婚しています。
風吹ジュンさんは父からの誘いを断り、自分の意思で母のもとを選びました。
離婚によって名字も変わり、本名は母方の堀川姓となっています。
家族の形が大きく変わった小学生時代だったのですね。
風吹ジュンの兄弟は?兄の現在
風吹ジュンさんの兄弟は、3歳年上の兄が1人です。
一般の方のため、名前や顔写真は公表されていません。
両親の離婚後、母と兄と3人での暮らしが始まりました。
母のミサさんは小さなスナックを開店し、兄はそこでバーテンダーとして働いていたといいます。
ところが店は繁盛せず、開店から半年後に火事で閉店してしまいました。
追い詰められた母から「一緒に暮らせない」と告げられたのは、風吹ジュンさんが13歳のころです。
そこから兄と2人だけの生活が始まりました。
兄は京都にあるミサさんの弟の会社で働き、風吹ジュンさんは同居して家事を担っています。
風吹さんは「兄の給料でしたから、本当に苦しくて」と当時を振り返り、家計をやりくりして夕食を作っていたと語りました。
中学3年のときには、保護者がいないことに気づいた担任が自宅にしばらく居候させてくれたそうです。
兄の現在について、職業や暮らしぶりは公表されていません。
母が晩年に入院したのが兄のいる京都の病院だったことから、その後も京都で生活していたとみられます。
きょうだい2人で支え合った時間が、今の風吹ジュンさんをつくったのでしょうね。
風吹ジュンの生い立ちと実家・幼少期
風吹ジュンさんの実家は、富山県婦負郡八尾町(現・富山市八尾町)にありました。
幼少期の記憶に残っているのは、よく手を引いて歩いてくれた優しい父の笑顔だといいます。
幼い頃の写真は、どれも父に抱っこされているものばかりだったそうです。
その後、京都へ移るまでの経緯は次の通りです。
| 時期 | 出来事 |
| 1952年 | 富山県婦負郡八尾町に誕生 |
| 小学生〜中学2年 | 富山県高岡市で育ち、高岡市立二上小学校に通う |
| 小学5年 | 父の女性問題が原因で両親が離婚 |
| 中学3年 | 母方の親戚を頼って京都へ移り、京都市立花山中学校を卒業 |
| 13歳ごろ | 母と離れ、兄と2人での暮らしが始まる |
| 18歳 | 単身で上京し、飲食店などに勤務 |
京都で暮らした家は窓の裏がすぐ崖という狭い部屋で、内職やアルバイトの日々だったといいます。
高校進学は母に認められず、風吹ジュンさんは家を出て3年間の自活生活に入りました。
上京後は銀座のクラブで働き、そこで客にスカウトされたことが芸能界入りのきっかけです。
1973年には初代ユニチカマスコットガールに選ばれ、翌1974年に「愛がはじまる時」で歌手デビューしました。
芸名は「風に吹かれたように出てきたから風吹」「語呂がいいからジュン」という由来だそうです。
苦労の多い幼少期を経てここまで歩んできたことに、あらためて驚かされますね。
まとめ
今回は、風吹ジュンさんの母親と父親、兄との関係、家族構成や実家での生い立ちまで調査しました。
- 母親は和歌山県有田市出身の堀川ミサさんで、10歳で父を、16歳で母を亡くしています。前の家族と別れて父と結ばれた過去を、風吹ジュンさんが20歳のときに打ち明けました。
- 父親は京都大学工学部を出て高校教員になった小林章さんです。戦時中は特攻隊に志願し、出撃直前に終戦を迎えて命拾いしました。
- 家族構成は両親と3歳年上の兄を含む4人家族で、風吹ジュンさんが小学5年のときに両親が離婚しています。
- 兄は名前や職業が非公表ですが、13歳のころから京都で2人暮らしを続け、風吹ジュンさんが家事を担っていました。
- 実家は富山県婦負郡八尾町で、高岡市を経て中学3年で京都へ移り住み、18歳で上京しています。
- 半世紀以上会っていなかった父とは晩年に再会し、2021年に96歳で亡くなるまで交流を持ちました。
波乱の生い立ちを恨まず前だけを向いてきた風吹ジュンさん。
これからどんな役を見せてくれるのか楽しみですね。
