卓球日本代表の戸上隼輔さんが話題です。
世界卓球の男子ダブルスで日本男子として64年ぶりの金メダルを獲得し、ドイツを拠点に世界のトップと戦い続ける姿に大きな注目が集まっています。
今回は、戸上隼輔さんの家族構成や兄弟について調査しました。
戸上隼輔のwikiプロフィール
まずは戸上隼輔さんの基本プロフィールをまとめました。
| 項目 | 内容 |
| 名前 | 戸上 隼輔(とがみ しゅんすけ) |
| 生年月日 | 2001年8月24日 |
| 年齢 | 24歳(2026年8月時点) |
| 出身地 | 三重県津市 |
| 身長 | 170cm |
| 戦型 | 右シェーク両面裏ソフトドライブ型 |
| 所属 | 井村屋グループ |
| 海外リーグ | ドイツ・ブンデスリーガ オクセンハウゼン |
| 学歴 | 津市立修成小学校→津市立橋南中学校→野田学園中学校・高等学校→明治大学 |
3歳で卓球を始め、山口県の野田学園でインターハイ男子シングルス2連覇を達成しました。
明治大学在学中の2022年と2023年には全日本選手権の男子シングルスを連覇しています。
2024年4月からは地元・三重県に本社を置く井村屋グループの所属選手となり、2025年のドーハ世界選手権では篠塚大登選手と組んだ男子ダブルスで金メダルを手にしました。
華やかな戦績の裏に、どんな家庭環境があったのか気になりますよね。
戸上隼輔の家族構成|父と母と兄2人の5人家族
戸上隼輔さんの家族構成は、父・母・兄2人・本人の5人家族です。
本人も東京新聞のインタビューで「5人家族、3兄弟の末っ子」と語っており、3人兄弟の一番下として育ちました。
そして特徴的なのが、家族全員が卓球経験者だという点です。
公式サイトのプロフィールにも「一家全員が卓球経験者で、3歳から卓球を始める」と記載されており、生まれたときからラケットが身近にある環境だったようですね。
インターハイダブルス優勝経験のある父を含め、両親と兄2人も経験者という卓球一家に生まれた戸上は、物心がついたころにはラケットを握っていた。
引用元: Rallys
なお、両親や兄については卓球関連の取材で語られる範囲での情報が中心で、職業や勤務先といった細かい部分は公表されていません。
ここまで家族全員が同じ競技に打ち込む家庭は、なかなか珍しいですよね。
戸上隼輔の父親は元インターハイ王者の戸上義春さん
父親の名前は戸上義春(とがみ よしはる)さんです。
義春さんは高校時代に全国の頂点に立った実力者で、1982年(昭和57年度)のインターハイ男子ダブルスで優勝しています。
余談になるが、戸上選手の父親である戸上義春氏も昭和57年度のインターハイ男子ダブルスチャンピオンに輝いている(パートナーは大瀬博文/福岡・柳川高)。
引用元: 卓球レポート(バタフライ)
ペアを組んでいたのは大瀬博文さんで、当時の記録では福岡・柳川高として紹介されています。
高校卒業後は和歌山の実業団で競技を続けた元卓球選手だと、朝日新聞社の学生スポーツメディア「4years.」が報じました。
興味深いのは、隼輔さん自身が2019年のインターハイで男子ダブルスを制した時点では、父が同じ種目のチャンピオンだった事実を知らなかったという点です。
父から手取り足取り教え込まれたわけではなく、幼少期は「父は僕の練習を見ることがなくて」と振り返っています。
親子二代でインターハイのダブルス王者というのは、運命的な巡り合わせかもしれませんね。
戸上隼輔の母親は練習を支えた愛のある熱血指導者
母親は恵子さんという名前で報じられています。
転勤の多い家庭で育ち、和歌山で義春さんと同じ会社の卓球部に所属していた時期があったそうです。
父の義春さん(58)は高校総体のダブルス王者で、和歌山の実業団でならした元卓球選手。
引用元: 4years.(朝日新聞社)
隼輔さんは小学2年から地元の松生卓球道場へ通い始めましたが、その送り迎えを毎日担ったのが母親でした。
本人は母を愛のある熱血指導者と表現しており、幼少期については「母に毎日怒られずっと泣きながら練習してました。でも卓球を嫌になることはなかったです」と語っています。
厳しく背中を押してくれる人が身近にいたからこそ、幼い頃から競技を続けられたのかもしれませんね。
戸上隼輔の兄弟は12歳上と9歳上の兄2人
戸上隼輔さんの兄弟は、兄が2人いる3人兄弟です。
長男は隼輔さんの12歳上、次男は9歳上とされ、末っ子の隼輔さんとはかなり年の離れた兄弟になります。
兄弟が卓球を始めたきっかけは長男の一言
戸上家が卓球一家になったきっかけをつくったのは、実は両親ではなく長男でした。
戸上家は引っ越しを繰り返しており、三重県津市に定着したのは隼輔さんが保育園の年長だった年の秋のことです。
その土地で12歳上の長男が友達をつくるために「卓球がしたい」と言い出し、そこに9歳上の次男が続き、最後に隼輔さんも同じ道へ進みました。
両親はともに競技経験者ですが、子どもたちに卓球を勧めたわけではなかったと報じられています。
隼輔さん自身が本格的に取り組もうと決めたのは5歳のときで、2番目の兄が大会で勝ち進む姿を格好いいと感じたことがきっかけでした。
母親に打ち明けると「本気でやるんだったらいいよ」と言われ、そこから松生卓球道場での日々が始まっています。
兄の背中を追いかけたことが、のちの全日本王者につながったわけですね。
兄弟仲がわかるエピソード
年齢差が大きいぶん、兄弟の関係は今もとても良好なようです。
隼輔さんが明治大学在学中に全日本選手権の男子シングルスを連覇した際には家族が大喜びし、大会後は一番上の兄の家族と東京ディズニーリゾートへ出かけたと語っています。
しかもこれは一度きりではなく、全日本のあとに一緒にディズニーへ行くのが恒例になっているそうです。
長男にはすでに子どもがいて、隼輔さんにとっては甥っ子や姪っ子にあたります。
次は優勝した姿を見せたいというようなコメントも残しており、家族ぐるみで応援されている様子が伝わってきますよね。
本人も「いつも、大切なことは家族に相談しています」と話しており、進路の節目でも家族の存在が大きかったようです。
にぎやかな一家の中で末っ子として育った環境が、あの伸びやかなプレースタイルにつながっているのかもしれません。
兄2人の名前や職業は?
兄2人の名前や職業、現在の活動については公表されていません。
競技経験者であることは公式サイトやインタビューで確認できますが、どのレベルまで卓球を続けたのかといった具体的な戦績も公表情報の中では確認できませんでした。
兄2人は一般の方ですので、この点は今後も明かされない可能性が高いです。
それでも、隼輔さんが節目ごとに家族の名前を挙げるところに、兄弟の距離感の近さが表れていますよね。
戸上隼輔の実家は三重県津市にある
戸上隼輔さんの実家は三重県津市です。
前述の通り生まれてすぐの時期は転勤に伴う引っ越しを繰り返しており、津市に落ち着いたのは隼輔さんが保育園の年長だった年の秋だと報じられています。
卓球の原点となったのは、津市半田池町にある松生卓球道場(松生TTC)です。
小学6年で全国大会準優勝を果たすまで力をつけ、中学2年の9月に山口県の野田学園中学校へ転校して寮生活に入りました。
実家を離れたのは13歳のときですが、「野田学園の雰囲気が良くて寂しくなかった」と当時を振り返っています。
現在も地元との結びつきは強く、2025年5月31日には母校の津市立修成小学校で、所属先の井村屋グループが主催する卓球イベントを開催しました。
世界選手権の金メダルを手に地元へ凱旋し、子どもたちと交流する姿が地元メディアでも取り上げられています。
地元の期待を背負って世界で戦う姿は、たくさんの子どもたちの励みになっていますね。
▽戸上隼輔さんに彼女はいる?なぜ早田ひな選手と熱愛の噂があるのか詳しく調べました。
まとめ
戸上隼輔さんの家族構成は、父・母・兄2人・本人の5人家族で、全員が卓球経験者という卓球一家でした。
父の戸上義春さんは1982年のインターハイ男子ダブルス王者で、母の恵子さんも実業団の卓球部に所属していた経験を持つ方です。
兄弟は12歳上の長男と9歳上の次男で、長男の「卓球がしたい」という一言が一家の卓球人生の始まりでした。
実家は三重県津市にあり、松生卓球道場での日々と家族の支えが世界の舞台へとつながっています。
ロサンゼルス五輪での金メダルを目標に掲げる戸上隼輔さんの、これからの活躍が楽しみですね。

