三浦大輔の実家の花屋は橿原のどこ?父と岡田彰布の縁

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三浦大輔実家花屋 スポーツ・アスリート
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元プロ野球選手で前横浜DeNAベイスターズ監督の三浦大輔さん

NHK『ファミリーヒストリー』で家族のルーツがたどられたことをきっかけに、育った家庭環境への関心が高まっています。

今回は、三浦大輔さんの実家や父親・母親・兄弟について調査しました。

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三浦大輔のwikiプロフィールと家族構成

まずは三浦大輔さんの基本情報を見ていきましょう。

項目内容
名前三浦 大輔(みうら だいすけ)
生年月日1973年12月25日
年齢52歳(2026年7月時点)
出身地奈良県橿原市
身長・体重183cm・88kg
学歴橿原市立真菅北小学校→橿原市立橿原中学校→大和高田市立高田商業高等学校
プロ入り1991年ドラフト6位(横浜大洋ホエールズ)
通算勝利172勝
愛称ハマの番長
現在の肩書き横浜DeNAベイスターズアンバサダー

1992年から2016年まで横浜一筋で25年間プレーし、2005年には最優秀防御率と最多奪三振の二冠を獲得。

2004年のアテネオリンピックでは日本代表として銅メダルを手にしています。

2021年から一軍監督を務め、2024年にはチームを26年ぶりの日本一へ導きました。

監督は2025年シーズン限りで退任し、2026年からはベイスターズアンバサダーという新しい立場で球団に関わっています。

家族については、俳優で手話パフォーマーの三浦剛さんが実弟、サンケイスポーツで競馬を担当している三浦凪沙さんが長女にあたります。

野球一家というより、表現の世界とつながりの深い一族なのが面白いところですよね。

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三浦大輔の実家は花屋?お店の名前と場所

三浦大輔さんの実家は、ご両親が営む生花店です。

お店の名前は三勝生花店

店を構えているのは大阪市天王寺区の玉造エリアで、玉造の商店街の中にあります。

奈良県橿原市出身の三浦さんが「第二の地元」として玉造の名前を挙げるのは、この店があるからなんですね。

本人も現役時代、公式ブログで実家の店に立ち寄ったことを書いています。

親父の店… 『三勝生花店』に… 寄ってきた!

引用元: 三浦大輔オフィシャルブログ「ハマの番長」

大阪城までランニングした帰りに顔を出し、隣の肉屋のコロッケが子どもの頃から大好物だったと綴っていました。

トップアスリートらしからぬ庶民的なエピソードで、思わず親近感がわいてしまいます。

なお、この店は三浦さんの祖父が始めたものです。

祖父は花屋に奉公に出たのち独立し、大阪で店を開きました。

戦争で招集され、帰還したときには店が空襲で焼けていたものの、天王寺区で花屋を再開して再起を図ったと『ファミリーヒストリー』で紹介されています。

父親はその2代目にあたり、三浦さんは花屋の家に生まれた長男というわけです。

三代にわたって続いてきた商売だと知ると、見え方も少し変わってきますね。

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三浦大輔の実家は橿原のどこ?奈良と大阪の二拠点

「花屋は大阪なのに、なぜ出身は奈良なの?」と疑問に思う人も多いはずです。

答えは、三浦家が住まいは奈良、商売は大阪という二拠点の暮らしをしてきたからでした。

三浦さんが生まれてしばらくは、両親が花屋のあった市場の近くで暮らしていたため、幼少期は大阪市玉造で過ごしています。

その後、小学校に上がる頃に一家は奈良県橿原市へ住まいを移しました。

三浦さん自身が橿原市立真菅北小学校から橿原市立橿原中学校へ進んだことは、橿原市の公式サイトにも明記されています。

橿原市内のどのあたりに実家があるのかについては、番組内で大垣町という地名が紹介されていました。

ちなみに三浦さんは2023年2月、橿原市のスポーツ大使第1号に就任しています。

任命式では地元への思いをこう語りました。

橿原市と三浦大輔を一つにつないで盛り上がり、自分の生まれ育った故郷をアピールできるように頑張っていきたい

引用元: 橿原市公式サイト

さらに2026年2月には母校の真菅北小学校と橿原中学校を訪問し、後輩たちにメッセージを届けています。

地元との縁をずっと大切にし続けている姿勢が伝わってきますよね。

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三浦大輔の父親と岡田彰布をつなぐ「岡田会」

三浦大輔さんの父親は、三浦克之さん

実はこの父親、阪神タイガースで監督を務めた岡田彰布さんとの縁で語られることが多い人物なんです。

克之さんが花屋を営む玉造は、岡田さんの地元でもありました。

岡田さん一家は市場にある克之さんの店の常連で、幼い頃の岡田さんもよく親子3人で買い物に来ていたそうです。

やがて岡田さんが早稲田大学に進み、阪神へ入団してしばらくすると、克之さんは後援会「岡田会」に加わることになりました。

デイリースポーツのインタビューでは、克之さんがこんな思い出を明かしています。

「岡田会」では、オフの期間に激励会として、ソフトボール大会などのイベントを開きました。岡田君がサードを守って、ショートは大輔。私はピッチャーで岡田君と対戦しました。

引用元: デイリースポーツ

少年時代の三浦さんが岡田さんとイベントで一緒にプレーしていたというのは、驚きの事実ですね。

実家の花屋の配達で岡田さん宅を訪れる機会もあり、岡田さんは当時から三浦さんの才能に目をつけていたとも伝えられています。

2008年に三浦さんがFA権を行使した際、阪神から横浜を上回る条件を提示されたのも、こうしたつながりが背景にありました。

父・克之さんは柔道華道の両方で腕を磨いた人でもあります。

家計を助けるため昼は工事現場で働き、夜は定時制高校に通いながら柔道に打ち込み、全国青年大会に出場するまでになりました。

その後は家業を継ぐために生け花を学び、生け花教室を開いています。

息子への野球指導も徹底していて、自宅の裏庭にトスマシンを置き、毎日300スイングをノルマとして課していたそうです。

剛と柔を併せ持つお父さんですね。

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三浦大輔の母親が息子に説いた厳しい教え

母親は三浦省子さん

橿原市を本拠とする藤本家の出身で、国鉄職員として真面目に働き続けた父のもとで育ちました。

高校卒業後は仕事の傍らで華道教室に通っており、そこへ手伝いに来ていた克之さんと出会って昭和48年に結婚しています。

花を通して結ばれた両親というのが、いかにも三浦家らしい話です。

省子さんの人柄が最もよく表れているのが、三浦さんが高校時代に野球を辞めそうになったときのエピソードでした。

練習漬けの日々に嫌気が差して1か月ほど部を離れた息子に対し、母は本人がどうこうという話ではなく、団体生活を乱せばチームメイト全員に迷惑がかかるのだと厳しく説いたと報じられています。

甘やかすのではなく、筋を通させる。

この毅然とした向き合い方が、後の「ハマの番長」を形づくったのかもしれません。

結果として三浦さんは監督やチームメイトに引き止められて野球部に復帰し、高校3年夏の奈良大会決勝では天理高校を相手に好投。

甲子園出場は逃したものの、スカウトの目に留まってプロ入りを果たしました。

両親が節目でどう関わるかは、子どもの人生を大きく左右するものなのだと考えさせられますね。

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三浦大輔の兄弟は俳優とカイロプラクターの2人

三浦大輔さんは男ばかりの3人兄弟の長男です。

小学生時代には2人の弟とともに地元の少年野球チーム「真北リトルズ」でボールを追いかけていました。

次男は三浦剛さん

2歳下の次男が、俳優で手話パフォーマーの三浦剛さんです。

1975年7月18日生まれで、兄と同じ高田商業高校を卒業したのち大阪学院大学商学部へ進み、大学までは投手として野球を続けていました。

20歳のときに役者を志して劇団に入団し、1998年に東京へ拠点を移して本格的に俳優活動をスタート。

現在は演劇集団キャラメルボックスに所属し、2018年には『エンジェルボール』で初主演を務めています。

2009年にろう者の女優・忍足亜希子さんと結婚し、手話ソングのライブ活動にも取り組んでいますね。

三男はカイロプラクター

三男は、奈良県橿原市でカイロプラクティック院を開業しています。

院長自身が公式サイトのプロフィールで、生花店を営む両親のもとに生まれた3兄弟の三男であること、長男が三浦大輔さんであることを明かしていました。

高校まで野球漬けだったため勉強には苦労したものの、テレビで活躍する兄たちの姿を見て奮起し、カイロプラクティックの学校を上位の成績で卒業したと綴っています。

野球、演劇、施術と進んだ道は三者三様ですが、それぞれが自分の世界で長く続けているところに、三浦家の粘り強さが表れているように感じます。

兄弟仲の良さも折に触れて語られており、微笑ましい家族ですよね。

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まとめ

三浦大輔さんの実家と家族について、わかったことをまとめます。

  • 実家は大阪市天王寺区の玉造で営まれている生花店三勝生花店で、祖父・勝義さんが創業し、父・克之さんが2代目として店を守ってきました。
  • 一家の住まいは奈良県橿原市にあり、幼少期は大阪の玉造、小学校からは橿原と、二つの土地を行き来しながら育っています。
  • 父・克之さんは岡田彰布さんの後援会岡田会に所属し、花の配達で岡田家を訪れる縁もあって、幼い三浦さんは早くから顔見知りだったといいます。
  • 母・省子さんは、高校時代に野球から離れかけた息子へ団体生活の責任を説き、グラウンドへ戻るきっかけをつくりました。
  • 2人の弟は、それぞれ俳優、カイロプラクターとして舞台や地元で活躍を続けています。

家業の花屋で培われた律儀さと、家族が示してくれた筋の通し方が、22年間を横浜一筋で投げ抜いた土台になったのでしょう。

2026年からはベイスターズアンバサダーという新たな立場で球団を支えており、これからどんな形で野球界を盛り上げてくれるのか楽しみですね。

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