65年ぶりに誕生した宝塚歌劇団宙組で初代トップスターを務め、退団後はソロ歌手として活躍している姿月あさとさん。
172cmの長身と彫りの深い顔立ちからクォーターではと言われることもあり、どんな実家で育ったのか知りたくなりますよね。
今回は、姿月あさとさんの実家について、父親や母親、兄のこと、夫との結婚生活や子供、子供いない理由まで調査しました。
姿月あさとの実家は大阪のどこ?
姿月あさとさんの実家は、大阪府大阪市都島区にあります。
地元の市立淀川中学校を卒業し、15歳で宝塚音楽学校に入学しました。
まずはプロフィールを見てみましょう。
| 項目 | 内容 |
| 本名 | 赤坂順子(旧姓・新保) |
| 愛称 | ずんこ |
| 生年月日 | 1970年3月14日 |
| 出身地 | 大阪府大阪市都島区 |
| 出身中学 | 大阪市立淀川中学校 |
| 身長 | 172cm |
| 血液型 | O型 |
本人は、育った大阪の家が淀川の近くだったと話していて、自然の中にいるのが自分に合っていると語っていました。
生まれたときの体重は4350gで、小学生のころは背の順でいつも一番うしろだったそうです。
外で男の子と遊んでばかりいる、元気な子どもだったとも振り返っています。
小学校2〜3年生ごろからは、そろばん、習字、水泳、ピアノ、バレエと、いくつも習い事に通っていました。
中学に上がるとき、親に塾とバレエのどちらを選ぶか聞かれ、迷わずバレエを選んだそうです。
姿月あさとさんが宝塚を目指せたのは、子どもの「やりたい」を尊重してくれる実家だったからかもしれません。
姿月あさとの実家の父親・母親と兄
姿月あさとさんの実家は、父親と母親、兄の4人家族と言われています。
両親は共働きで、小さいころは同居していた祖父母が食事を作ってくれることが多かったそうです。
家族それぞれのことを順に見ていきます。
| 家族 | わかっていること |
| 父親 | ジャズやブラックミュージック好き |
| 母親 | 音楽好きで、いつも鼻歌を歌う |
| 兄 | 35歳で急逝 |
| 祖父 | 料理上手で、よくご飯を作ってくれた |
一般の方なので、両親の名前や職業は明かされていません。
それでも姿月あさとさんが語った思い出からは、音楽と温かいご飯がそばにある家庭だったことが伝わってきます。
父親はジャズ好き
姿月あさとさんの父親の職業は、表に出ていないようです。
わかっているのは、父親が大の音楽好きで、家でいつもレコードをかけていたことです。
父もジャズやブラックミュージックが好きで、ダイアナ・ロスなんかを聴いていました。だから家ではいつでもレコードがかかっていたんです。
引用元: ヤマハ
ジャンルを問わずいろいろな歌を歌いこなす姿月あさとさんですが、その耳は子どものころのこの環境で育ったのかもしれません。
両親は今も大阪で暮らしていて、東京でコンサートがあると2人そろって見に来てくれるそうです。
母親の子守歌と思い出の味
姿月あさとさんは、これまでの人生で一番多く聴いた曲は、母親の子守歌ではないかと話しています。
母親も音楽が好きで、楽しいときはいつも鼻歌を歌っているそうです。
娘のコンサートを見た後に、印象に残った曲を口ずさんでいることもあるといいます。
料理では、来客のある特別な日に作ってくれた野菜の寒天寄せが思い出の味だそうです。
ふだんよく作ってくれたのはだし巻き卵で、これが本当においしかったと振り返っていました。
兄は35歳で急逝
姿月あさとさんの兄は、35歳で急逝しています。
芸能生活35周年を迎えたときのインタビューで、本人がこのことを明かしました。
私の芸能生活が35年を迎えた時に思ったのは、「兄の人生と同じぐらいの長さなのか」ということ。
引用元: 婦人公論.jp
兄の名前や、亡くなった時期、原因は語られていません。
姿月あさとさんは、人の寿命は決まっていないからこそ、その時その時を懸命に過ごすことが大切だと話しています。
毎回のステージに「これが最後」という気持ちで臨んでいるのも、兄を見送った経験とつながっているようです。

35周年で、お兄さんの人生と同じ長さだと考えたなんて胸が詰まります。ステージに懸ける思いの重さが伝わってきますね。
姿月あさとはクォーター?
姿月あさとさんがクォーターだという根拠は、見つかりませんでした。
本人が、祖父母に外国出身の人がいると話したこともないようです。
旧姓は新保という日本の名字で、両親は大阪で暮らしています。
クォーター説が出るのは、172cmの長身と目鼻立ちのはっきりした顔のためだと考えられます。
宝塚時代は男役として、歌唱力だけでなく端正なビジュアルでも人気を集めました。
退団後にバリ島やオーストラリアで暮らしていたことも、外国とのつながりをイメージさせたのかもしれませんね。
姿月あさとの夫はどんな人?
姿月あさとさんの夫は、外資系旅行会社の現地駐在員だった一般男性です。
2人は、姿月あさとさんが宝塚を退団した2か月後の2000年7月に結婚しました。
夫は姿月さんより2歳年下で、当時は旅行会社のインドネシア支店長だったと言われています。
夫の名前や顔は明かされていません。
結婚の決め手は直感
姿月あさとさんは、退団したときには結婚の予定も予感もまったくなかったと話しています。
ところが退団したとたんに「この人と結婚するんだ」と直感がはたらいたそうです。
宝塚を辞めたのは結婚のためと言われてきましたが、本人の言葉ではまず退団があって、そこから結婚を決めた流れのようです。
夫の転勤で海外へ
結婚後は、夫の仕事の都合で海外暮らしが続きました。
| 時期 | 暮らした場所 |
| 2000年〜2004年3月 | インドネシア・バリ島 |
| 2004年4月〜2007年4月 | オーストラリア・ケアンズ |
| 2007年4月〜 | 東京(夫の転勤で帰国) |
バリ島では本を1冊片手にインドネシア語を覚え、市場で値段を交渉しながら買い物をしていたそうです。
ケアンズでは、大人が仕事の後に堂々と楽しむ姿を見て、自分もそんな大人になろうと思ったと語っています。
誰も自分を知らない場所へ行くのは不安どころか楽しみだったと話していて、夫と一緒に新しい土地へ飛び込んでいったことがわかります。

退団してすぐ「この人と結婚する」とひらめくなんて、ドラマみたいですね。知らない国にも楽しんで飛び込むところが素敵です。
姿月あさとに子供がいない理由は?
姿月あさとさんに子供はいないと言われています。
2000年の結婚から25年以上たちますが、子供が生まれたという発表はありません。
子供がいない理由について、本人が語ったこともないようです。
結婚後も歌い続けた日々
姿月あさとさんは30歳で結婚し、7年近く海外で暮らしました。
2007年に帰国してからは歌手としての活動を本格的に広げ、毎月のようにライブに出ています。
セルフプロデュースのライブ『THE PRAYER』は、1年に1度のライフワークとして続けてきました。
2019年からは、毎年『昭和歌謡祭』も自分で主催しています。
本人が語る生き方
姿月あさとさんは、他人に何を言われても自分の人生は自分だけのものだと話しています。
自分で決めたことなら、良いことも悪いことも受け止めようと思えるそうです。
「お葬式はしません」と公言していて、お葬式に来てもらう代わりに、生きているうちに舞台を見てほしいと語っていました。
子供について語らないのも、自分で選んだ人生を大切にしてきた姿月あさとさんらしさなのかもしれません。
ライブを続ける歌声については、姿月あさとさんの病気や声枯れの噂もこちらの記事でまとめています。
まとめ
今回は、姿月あさとさんの実家や家族について調査しました。
- 姿月あさとさんの実家は大阪市都島区で、淀川の近くで育ちました。
- 父親はジャズ好きで、母親は音楽好きで、両親は今も大阪で暮らしています。
- 兄は35歳で急逝していて、本人がインタビューでそのことを明かしました。
- クォーターだという根拠はなく、長身と顔立ちから出た噂のようです。
- 夫は外資系旅行会社の駐在員で、2000年に結婚してバリ島やケアンズで暮らしました。
- 子供はいないと言われていますが、その理由を本人が語ったことはありません。
音楽好きの家族に囲まれて育った姿月あさとさんは、2027年に芸能生活40周年を迎えます。
これからもその歌声を届けてほしいですね。

