娘の田中希実さんを東京五輪1500mの8位入賞へ導き、いまも専属コーチとして世界の舞台に挑み続ける田中健智さん。
自身も川崎重工の元実業団ランナーで、嫁の千洋さんを北海道マラソン優勝に導いた指導力にも注目が集まっていますよね。
今回は、田中健智さんのwikiプロフィールとあわせて、経歴や学歴、出身地や実家、妻と子供を含めた家族構成を調べました。
田中健智のwikiプロフィール
田中健智さんは1970年11月19日生まれで、兵庫県出身の陸上競技指導者です。
名前は「けんじ」ではなく、「たなか かつとし」と読みます。
| 項目 | 内容 |
| 名前 | 田中 健智(たなか かつとし) |
| 生年月日 | 1970年11月19日 |
| 年齢 | 55歳(2026年9月時点) |
| 出身地 | 兵庫県小野市 |
| 最終学歴 | 兵庫県立三木東高校 |
| 現役時代の所属 | 川崎重工 |
| 専門種目 | 3000m障害(中長距離) |
| 現在の肩書き | ATHTRACK株式会社代表・田中希実さんの専属コーチ |
| 著書 | 『共闘 セオリーを覆す父と娘のコーチング論』 |
2024年7月10日には、ベースボール・マガジン社から著書『共闘 セオリーを覆す父と娘のコーチング論』を出しました。
娘と二人三脚で取り組んできた、日本の常識にとらわれないコーチングの考え方がまとめられた一冊ですね。
選手時代の自己ベスト記録は、公表されていないようです。
選手、市民ランナーの支え役、会社の経営者、そして世界を目指す娘のコーチと、立場を変えながら陸上に関わり続けてきた人ですね。
田中健智のwiki学歴は三木東高
田中健智さんの最終学歴は、兵庫県立三木東高校の卒業です。
陸上を本格的に始めたのは高校に入ってからで、このころから3000m障害を専門にしていました。
1970年(昭45)11月19日、兵庫・小野市生まれ。三木東高で陸上を始め、卒業後は川崎重工に在籍。3000メートル障害で全日本実業団選手権入賞経験あり。
引用元: 日刊スポーツ
高校を出たあとは大学に進まず、そのまま実業団の川崎重工に入りました。
18歳で社会人ランナーになったので、大学の陸上部で指導を受けた経験はないことになります。
出身中学校の名前は公表されていません。
ただ、著書では妻の千洋さんが同じ中学校の先輩だったと明かしています。
2人とも小野市で育ったので、地元の中学校に通っていたのかもしれませんね。
高校の顧問から受けた指導や、高校時代の成績についても、詳しいことは語られていないようです。
特別なエリートコースを通ってきたわけではない点が、いまの型破りな指導のスタイルにもつながっているのかもしれませんね。
田中健智のwiki経歴|田中希実のコーチ
田中健智さんの経歴は、川崎重工の中長距離選手から始まります。
1996年に現役を引退したあとは妻のサポートにまわり、その後は独立して娘の専属コーチになりました。
主な出来事を年ごとにまとめました。
| 年 | 主な出来事 |
| 高校卒業後 | 川崎重工に入り中長距離選手として活動 |
| 1996年 | この年限りで現役を引退 |
| 〜2001年 | トクセン工業で妻のコーチ兼練習パートナー |
| 2001年以降 | ランニング関連の会社でイベント運営や記録計測に携わる |
| 2006年 | Athle-C(アスレック)を立ち上げて独立 |
| 2019年 | 豊田自動織機TCのコーチに就任 |
| 2021年 | ATHTRACK株式会社として事業を続ける |
| 2023年4月 | プロに転向した希実さんの専属コーチになる |
| 2024年7月 | 著書『共闘』を刊行 |
| 2026年 | クラブチーム「ATHTRACK AC」の立ち上げを発表 |
選手、ビジネス、指導という3つの顔を順番に持つようになったのが、田中健智さんの経歴の特徴ですね。
現役時代は3000m障害の実業団ランナー
現役時代は3000m障害を専門にし、全日本実業団選手権で入賞した経験があります。
川崎重工に入って2年ほどたったころからは、フルマラソンにも挑戦していました。
もともと長い距離のほうが向いているという自覚があり、チームのロードワークでは誰よりも速く走り切っていたそうです。
しかし、走っている途中で坐骨神経痛がひどくなり、長い距離を走れなくなっていきました。
著書では、自分のことを全国大会に「出られるだけ」の選手だったと冷静に振り返っています。
引退後は妻の練習パートナーに
引退を決めたのは、のちに妻となる千洋さんと出会ったことがきっかけでした。
千洋さんはトップクラスで戦える素質を持っていると感じ、自分は選手をやめて支える側にまわると決めたのです。
2001年まではトクセン工業で、妻のコーチ兼練習パートナーを務めました。
その後はランニング関連の会社に移り、大会運営や、ICチップを使った記録の計測に携わっています。
この会社で働きながらも、妻のコーチは続けていました。
独立してATHTRACKを経営
2006年に「Athle-C(アスレック)」を立ち上げて独立し、ランニングクラブの運営やロードレースの記録計測を手がけてきました。
独立したのは、合宿や遠征の費用を自分たちで稼ぐためだったと語っています。
2021年からはATHTRACK株式会社として、陸上イベントの企画・運営やランニング教室を行っています。
2026年には、このATHTRACK株式会社がクラブチーム「ATHTRACK AC」を立ち上げると発表しました。
4月からは、シスメックスにいた穗岐山芽衣選手が新たに加わっています。
娘のコーチになったきっかけ
田中希実さんのコーチになったのは、希実さんが同志社大学1年生だった冬に相談を受けたことがきっかけでした。
高校時代の顧問が大学入学後も指導を続けていましたが、兼務の負担が大きくなってしまったのです。
当初は「次の指導者が見つかるまでのつなぎになれば」という感じでした。娘がクラブチームで活動するにあたって路頭に迷うことを避けたかったので、一時的な逃げ道を提供する形で協力しようと思ったんですね。
引用元: TOKYO FORWARD 2025
その後、2019年に豊田自動織機TCのコーチになり、希実さんと、西脇工業高校の同級生だった後藤夢選手を指導しました。
2023年4月に希実さんがプロに転向してからは、専属コーチとしてダイヤモンドリーグなどの海外レースにも一緒に出ています。
練習のヒントを探すために、ケニアやアメリカにも足を運んでいるそうです。
「つなぎ」のつもりで引き受けた役目が、いまでは世界と戦うための大事な柱になっているのは面白いですね。
田中健智のwiki出身と実家は?
田中健智さんの出身地は、兵庫県小野市です。
1996年に引退したあとは地元の小野市に戻り、仕事をしながら妻のマラソン挑戦を支えてきました。
休みの日には、小野市の大池総合運動公園にある土のトラックで練習していたと著書で振り返っています。
妻の千洋さんも同じトラックで練習していたので、出会う前からお互いに顔を見かけていたそうです。
娘の希実さんも小野市で生まれて、市内の小野南中学校に通いました。
希実さんが小学2年生のころに田中健智さんが独立し、家族でランニング大会の運営に出かけるようになったそうです。
希実さんは給水係や受付、完走証の発行などを手伝い、家族旅行のような思い出になったといいます。
健智さん自身の実家がどんな家庭だったのかや、両親の職業については公表されていません。
小野市は、健智さんにとって生まれ育った故郷であり、いまの家族の暮らしと練習の拠点でもあるようですね。
田中健智の家族構成|嫁(妻)と子供・娘
田中健智さんの家族構成は、妻と娘2人の4人家族です。
| 続柄 | 名前 |
| 本人 | 田中健智さん |
| 妻 | 千洋さん(北海道マラソンで1997年・2003年に優勝) |
| 長女 | 希実さん(1999年生まれ・陸上選手) |
| 次女 | 希空さん(2005年生まれ) |
妻の千洋さんとは、出会ってからわずか1週間で結婚を決めたと明かしています。
次女の希空さんも、中学から陸上を続けて長距離に取り組んでいるそうです。
長女の田中希実さんの成績や素顔は、別の記事でくわしく紹介する予定です。
毎年夏に岐阜県の御嶽山で行う家族合宿は、希実さんが3歳ごろから続いているといいます。
家族みんなで走ることを楽しんできた、陸上一家なんですね。
田中希実さんの両親については、こちらの記事で詳しくまとめています。
まとめ
今回は、田中健智さんのwikiプロフィールとあわせて、経歴や学歴、出身地や実家、妻と子供を含めた家族構成を調べました。
- 田中健智さんは1970年11月19日生まれで、兵庫県小野市出身の陸上競技指導者です。ATHTRACK株式会社の代表を務めています。
- 学歴は兵庫県立三木東高校の卒業です。高校で陸上を始め、卒業後は大学に進まず川崎重工に入りました。
- 現役時代は3000m障害の選手で、全日本実業団選手権で入賞した経験があります。1996年限りで引退しました。
- 引退後は妻のコーチを務め、2006年に独立しました。2019年からは娘・田中希実さんのコーチをしています。
- 実家は地元の小野市にあり、引退後も小野市を拠点に活動してきました。両親の職業は公表されていません。
- 家族構成は妻の千洋さんと、長女の希実さん・次女の希空さんの4人家族です。
クラブチームを立ち上げ、娘以外の選手の指導にも広がった田中健智さんが、これからどんな選手を育てていくのか楽しみですね。

