大河ドラマ『秀吉』の主演や、初監督作『無能の人』でヴェネチア国際映画祭国際批評家連盟賞を受けた俳優の竹中直人さん。
2026年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』では松永久秀を演じていて、その独特な存在感が誕生した竹中さんの生い立ちが気になりますね。
今回は、竹中直人さんの実家がある場所と、父親・母親の人柄や兄弟の有無、先祖のルーツまで調査しました。
竹中直人の実家は横浜市金沢区富岡
竹中直人さんの実家があるのは、神奈川県横浜市金沢区富岡です。
横浜市役所に勤める公務員夫妻の一人息子として、1956年3月20日に生まれました。
生まれた町については、竹中直人さん本人が『婦人公論』の連載インタビューで具体的に語っています。
僕は横浜市金沢区富岡町、直木三十五のお墓のある町で生まれました。父は横浜の中区役所、母は磯子区役所、共働きの一人っ子でした。
引用元: 婦人公論
父と母は同じ区役所ではなく、それぞれ中区役所と磯子区役所に勤めていたのですね。
実家の基本的な情報をまとめると、次のようになります。
| 項目 | 内容 |
| 実家の場所 | 神奈川県横浜市金沢区富岡 |
| 最寄り駅 | 京急富岡駅 |
| 家族構成 | 父・母・竹中直人さんの3人 |
| 父 | 竹中博美さん(横浜市の職員) |
| 母 | 芳枝さん(横浜市の職員) |
| 兄弟 | いない(一人っ子) |
竹中直人さんは2浪を経て多摩美術大学に進むまで、この富岡の実家で過ごしました。
共働きの両親を待つ「鍵っ子」だった時期も長かったそうです。
竹中直人の実家がある富岡はどんな場所?
竹中直人さんの実家がある金沢区富岡は、山と海に囲まれた自然豊かなエリアです。
当時の富岡の様子を、竹中直人さんはこう振り返っています。
ぼくの生まれた金沢区富岡はとても田舎。夜になると真っ暗、怖かったです。今も実家の近所は昔とほとんど変わらないですよ。山に囲まれています。小学生の頃は富岡海岸が近くにあって潮干狩りが出来ました。
引用元: 現代ビジネス
話に出てくる富岡海岸は、かつて海水浴場として賑わった砂浜でした。
1971年に着工した金沢地先埋立事業によって沖側が埋め立てられ、今では当時の海岸線は残っていません。
金沢区は横浜市の南端に位置し、人口はおよそ19万人。
八景島シーパラダイスや三井アウトレットパーク横浜ベイサイドがあり、買い物にも困らない場所ですね。
一方で富岡は、明治から昭和前期にかけて別荘地として人気を集めた土地でもあります。
政界人や実業家が競うように別荘を建て、近くの野島には伊藤博文の金沢別邸が残されています。
竹中直人さんが自伝的エッセイに書いた自転車での山道や神社の広場も、この富岡の風景です。
豊かな自然と、文化人が愛した土地の空気の両方を吸って育ったのですね。
竹中直人の父親は区役所職員
竹中直人さんの父親は竹中博美さんで、横浜市の職員として中区役所などに長く勤めた人です。
博美さんは戦争体験の語り手としても知られていました。
1945年5月29日の横浜大空襲では、学徒勤労動員先の軍需工場で九死に一生を得ています。
メディアの取材にその体験を語ったのは2020年8月、92歳のときでした。
竹中直人さんは、父親から一度も否定されたことがなかったと明かしています。
父は僕を何一つ束縛することはありませんでした。自分のやることを否定されたこともないです。僕も照れくさかったので相談はせずに全て自分で決めていましたが。
引用元: 現代ビジネス
小学6年のとき、担任の先生から「私立の中学に入れてあげられないか」と勧められた話も残っています。
公務員の家庭に余裕はなかったはずですが、博美さんは息子の受験勉強に付き添ったそうです。
美大受験のときも2浪まで認めてくれたといい、竹中直人さんは「説教されたことは一切なかった」と語っています。
息子を信じて見守り続けた父親だったのですね。
竹中直人の母親は54歳で結核により他界
竹中直人さんの母親は芳枝さんで、磯子区役所に勤めながら家庭を支えていました。
しかし竹中直人さんが17歳のとき、肺結核により54歳で亡くなっています。
芳枝さんは中学2年のころにリウマチが見つかり、その後に結核を発症して3年ほど入院していました。
当時の様子について、竹中直人さんはこう振り返ります。
母は結核で隔離病棟に入れられていたので、僕が病室に入ろうとすると「感染るから」となかなか病室に入れてくれないんです。病院の廊下から、遠くの母に泣きながら手を振り合ったりしてました。
引用元: 婦人公論
身近な人の死を経験したのは初めてで、母の死を受け入れられず毎日泣いていたそうです。
芳枝さんのお墓は、直木三十五の墓がある地元の長昌寺にあります。
芳枝さんは生前、「自分の本当の故郷は長崎」と口にしていました。
母方の一家は長崎で貿易業を営んでいたものの事業が傾き、横浜へ移ってきたと伝えられています。
つらい記憶が多かったからか、芳枝さんは自身の生家について詳しく話さなかったといいます。
それでも竹中直人さんは、母の教えを今も守り続けています。
17歳の時に亡くした母の教えがある。「『明日着る物の支度は前日にする』というのが母の教育だった。だから今も『明日はこのジャケットで行こう』って寝室の横に必ず用意してから寝ています。もういい歳(とし)なんだけど…」とちょっと照れくさそうに明かす。
引用元: スポーツ報知
70歳になった今も続けている習慣だと考えると、母の存在の大きさが伝わってきますね。
竹中直人の兄弟はいない一人っ子
竹中直人さんに兄弟はおらず、一人っ子として育ちました。
実家は父・博美さん、母・芳枝さんとの3人家族です。
一人っ子であることは、本人が食事の話題でもたびたび口にしています。
僕は一人っ子で寂しがり屋だから、絶対に無理。独りで食べている人を見ると寂しいと思ってしまう。おいしい、を皆と共有したい
引用元: スポニチアネックス
これは「独り飯」ができるかを聞かれたときの答えです。
幼少期は家で一人遊びを好む内気な性格だったといい、その寂しさが今の人づき合いの好みにもつながっているのかもしれませんね。
母が亡くなってからは、父と2人の生活になりました。
竹中直人さんが上京した後も博美さんは横浜で1人暮らしを続け、同居の誘いを断り続けたそうです。
竹中直人の先祖は絵師と足軽
竹中直人さんの先祖は、母方が長崎県の五島、父方が青森県の弘前にたどり着きます。
NHK『ファミリーヒストリー』で2016年に取り上げられ、両家のルーツが明らかになりました。
番組で紹介された系統をまとめると、次のようになります。
| 系統 | 番組で紹介された先祖 |
| 母方・長谷川家 | 高祖父の長谷川平三郎は五島福江藩に召し抱えられた絵師 |
| 母方・祖父 | 正直さんは長崎で生糸の貿易に携わり、のち横浜へ移る |
| 父方・竹中家 | 高祖父の弥十郎は弘前藩に仕え、明治維新後に足軽身分となる |
母方の高祖父・長谷川平三郎は「東鶴」の名で知られ、京都で活動していたところを藩主に才能を見込まれたと伝えられています。
祖父の正直さんは第一次世界大戦の戦時景気で生糸の貿易に成功したものの、大戦後に事業が傾いたようです。
一家が長崎から横浜へ移ったことで、青森から出てきた父方の竹中家と縁が生まれました。
横浜市の職員だった博美さんと芳枝さんが出会い、結婚したのが竹中直人さんの原点です。
絵の道に進んだ先祖がいると知ると、多摩美術大学へ進み個展も開く竹中直人さんの才能に納得してしまいますね。
竹中直人の学歴は実家近くの富岡小学校
竹中直人さんが実家から通ったのは、地元の横浜市立富岡小学校です。
その後は関東学院六浦中学校・高等学校に進み、2浪を経て多摩美術大学に入学しました。
| 区分 | 学校 |
| 小学校 | 横浜市立富岡小学校 |
| 中学・高校 | 関東学院六浦中学校・関東学院六浦高等学校 |
| 大学 | 多摩美術大学美術学部デザイン科グラフィックデザイン専攻 |
小学校の通信簿には「協調性がない、積極性がない」とよく書かれていたそうです。
6年生のときに担任の萩原しづほ先生が両親を呼び出し、「個性的だから私立の中学のほうがいいのでは」と勧めたことが進路を変えました。
竹中直人さんはこの出会いを「第1の転機」と語っています。
関東学院六浦中学校ではのびのびと過ごし、内気な性格を克服するために覚えたモノマネで注目を集めました。
大学受験では東京藝術大学を志望して1次試験で不合格となり、2浪の末に多摩美術大学へ。
現在は同大学の客員教授も務めていて、母校との縁が続いているのがおもしろいですね。
竹中直人の実家は父の死後どうなった?
竹中直人さんの実家は、父・博美さんが亡くなる前に本人の手で整理されていました。
博美さんは2023年に95歳で亡くなり、介護もほとんど必要としなかったそうです。
竹中さんは、几帳面だった父の準備ぶりを明かしています。
実家は何もかもが整理されていた。写真ブックは段ボール箱に全部詰められ、何年から何年の何月何日とすべてにメモされていた。
引用元: MANTANWEB
写真が不要なら捨ててもいい、というメモまで添えられていたといいます。
博美さんは身内だけの火葬と散骨を望んでいて、遺骨は希望どおり横浜の海に散骨されました。
散骨には竹中直人さんの孫2人も立ち会いました。
孫からは「じいじはお墓に入ってほしい。会いに行けなくなるから、散骨しないでほしい」という言葉もあったそうです。
その孫の親である竹中さんの子供ですが、竹中直人さんの息子が俳優なのかという点も気になりますね。
「全部父の思った通りのことができた」と話す竹中直人さん。
実家の建物が今どうなっているかは公表されていませんが、家族の記憶はしっかり受け継がれているようですね。
竹中直人さんは女優の木之内みどりさんと結婚していて、木之内みどりさんの現在の様子もまとめました。
竹中直人の実家のエピソード
竹中直人さんの実家にまつわるエピソードを3つ紹介します。
どれも今の仕事につながる話です。
将来の夢は漫画家
竹中直人さんの幼少期の夢は漫画家でした。
幼少期の将来の夢は漫画家。鍵っ子だった竹中は両親が帰宅するまで、ひたすら家で漫画を描いていたという。
引用元: 現代ビジネス
共働きの家で1人、ひたすら絵を描いて過ごしていたのですね。
その積み重ねが多摩美術大学への進学につながり、今も個展を開くほどの表現力になりました。
母方の先祖に絵師の長谷川平三郎さんがいることを考えると、絵の才能は血筋なのかもしれませんね。
幼少期から映画を観ていた
竹中直人さんが映画の世界に憧れたきっかけは、両親の趣味でした。
両親が映画好きで、小さい頃からよく映画館に連れて行かれたという。
引用元: 現代ビジネス
小学生のころに観たのは、大人向けのスパイ映画『007』シリーズだったそうです。
高校時代には8ミリで映画を撮り、大学で自主映画を作るうちに俳優になりたいと思うようになりました。
両親に連れられた映画館での時間が、俳優と映画監督という二つの肩書きの原点になったのですね。
運動会でわざと逆走した小学生時代
富岡小学校4年生の運動会で、竹中直人さんはゴール手前から逆走しました。
走るのが速く、周りを見たら誰もいなかったからだそうです。
一番になることが「とてつもなく恥ずかしかった」といい、観覧席の父に向かって走り出したと語っています。
人と同じ方向に進まない感覚は、このころからのものだったようですね。
まとめ
今回は、竹中直人さんの実家がある場所と、父親・母親の人柄や兄弟の有無、先祖のルーツまで調査しました。
- 竹中直人さんの実家は神奈川県横浜市金沢区富岡で、京急富岡駅が最寄りの自然豊かなエリアです。
- 父親の竹中博美さんは横浜市の職員で中区役所などに勤務し、2023年に95歳で亡くなりました。
- 母親の芳枝さんは磯子区役所に勤めていましたが、竹中直人さんが17歳のときに肺結核で54歳で他界しています。
- 兄弟はおらず一人っ子で、実家は両親との3人家族でした。
- 先祖は母方が五島福江藩の絵師・長谷川平三郎、父方が弘前藩に仕えた家系だとNHK『ファミリーヒストリー』で紹介されました。
- 実家は父が生前にすべて整理し、遺言どおり遺骨は横浜の海に散骨されました。
自由に見守ってくれた父と、教えを残した母。
その2人が暮らした富岡の家があったからこそ、竹中直人さんは唯一無二の表現者になったのですね。
これからの活躍も楽しみです。


