錦野旦さんは、1970年「にしきのあきら」で歌手デビューし、キャッチフレーズは「ソニー演歌の騎士(ナイト)」です。
1971年の「空に太陽がある限り」が大ヒットし、代表作となりました。
テレビ番組「とんねるずの生でだらだらいかせて!!」で「スターにしきの」と呼ばれたことをきっかけに、人気となり活躍しています。
2人目の妻、力丸ヒロ子さんは事務所の専務で、元客室乗務員、ファッションアドバイザーです。
今回は、そんな錦野旦さんの実家について、以下の気になることを調査しました。
- 錦野旦さんの実家はどこ?
- 錦野旦さんの実家はどんな家?画像はある?
- 父親・母親はどんな人?
- 兄弟はいる?
- 実家のエピソード
最後までご覧ください。
錦野旦の実家はどこ?
錦野旦さんの実家がある場所は、大分県大分市です。
大分市は、大分県の中部に位置する人口約47万人の都市で、大分県の県庁所在地です。
大分市廻栖野(めぐすの)の「一心寺」は、2万坪もの境内のある寺院で、全長20mに及ぶ日本一大きな不動明王像や全長17mの薬師観音像があり、観光スポットとなっています。
また西日本でも随一の八重桜(ぼたん桜)の名所です。
家族構成は両親、弟、妹の5人家族です。
錦野旦さんは、歌のレッスンのため上京するまで、実家がある大分市で過ごしました。
錦野旦の実家の家族は韓国から帰化した
錦野旦さんの実家の家族は、1961年に韓国籍から日本に帰化したといわれています。
錦野旦さんは、週刊誌で韓国系日本人と公表しましたが、生まれも育ちも大分県です。
小学生時代はわんぱくな子供で、中学時代は吹奏楽に所属し、トランペットを演奏していました。
スポーツマンの父の影響か、スポーツが得意で中学生時代に体操の本で鉄棒を覚え、高校生になり器械体操を始めました。
しかし、高校2年生のときに器械体操を辞め、吹奏楽部に入り、大分国体で行進曲を演奏しました。
スポーツマンでトランペットが演奏できて、すごいですね。
錦野旦の実家の父親は社交ダンス講師
錦野旦さんの父親について調べましたが、名前は公表されていないようです。
もしかしたら一般人のため非公表なのかもしれませんが、日本人だといわれています。
父親は、社交ダンスの講師として、勤務先のキャバレーで社交ダンスを教えていました。
錦野旦さんが音楽の道に進んだのは、父親の紹介がきっかけのようです。
学生時代にダンスや器械体操に励んできたが、世界大会での優勝や五輪出場を目指すことが難しかったので、音楽に挑戦することにした。父に相談したところ、勤務していた大分県のキャバレーに楽団があり、高校卒業後、参加しようと思った。
引用元:輸送経済新聞社
錦野旦さんは、キャバレーでトランペットなどを演奏していて、美川憲一さんの「柳ケ瀬ブルース」を歌ったところ、スカウトされました。
父親の紹介が、歌手としての錦野旦さんを誕生させたのですね。
錦野旦さんをスカウトしたのは、のちに森進一さんも発掘した音楽プロデューサーの吉井勇吉さんです。
吉井さんが別府市のナイトクラブ『ナポリ』を訪れた際、美川憲一さんの「柳ヶ瀬ブルース」を歌う錦野旦さんに「うちへ来て歌わないかね?」と声をかけたとされています。
その後、鹿児島の『キャバレー・エンパイア』の専属として約3ヶ月活動し、音楽家の浜口庫之助さんを紹介されて上京しました。
上京後は浜口さんの自宅マンションで住み込みの運転手をしながら猛レッスンを積み、1970年5月に「にしきのあきら」としてデビューを果たしました。
錦野旦の実家の母親は韓国人?
錦野旦さんの母親について調べましたが、名前や職業などは公表されていないようです。
もしかしたら、母親も一般人のため非公表なのかもしれませんが、韓国人という話があります。
また16歳で錦野旦さんを出産したとの噂もありますが、定かではありません。
錦野旦さんの出生名は「金 明植」といわれています。
錦野旦の実家の兄弟は「かつ亭にしきの」を経営
錦野旦さんの兄弟は、弟と妹です。
弟は「かつ亭にしきの」を経営
錦野旦さんの弟は、以前岡山市で「かつ亭にしきの」を経営していたという話があります。
当時、「かつ亭にしきの」のカツ丼は「スターカツ丼」といい、ドミカツ丼で名物でした。
店内には錦野旦さんに関わるものが飾ってあったそうです。
1999年に経営者が変わりましたが、「スターカツ丼」は、次の店「かつ亭かがみ野」に引き継がれていました。
現在は不明で、その後の弟の情報は見つかりませんでした。
姪は美人歌手
錦野旦さんの妹について調べましたが、情報が見つかりませんでした。
一般人のため非公表なのかもしれませんね。
しかし、錦野旦さんの姪の高橋亜美さんの情報を見つけました。
高橋亜美さんは、子育てシンガーソングライターで、幼少期から錦野旦さんに憧れて、歌手になったそうです。
福岡県糸島市在住で、小中高等学校やホールを中心に「うまれてきてくれて ありがとう」をテーマにコンサート活動をしています。

二人の子どものお母さん。 叔父の「にしきの あきら」に憧れて 幼少の頃から歌手になるコトを決意。在日韓国人やADHD(注意欠陥多動障害)であるがゆえのイジメられた経験。
子を亡くした悲しみや体外受精を体験したからこそ気付けた「いのち」の大切さなどを歌と語りで伝えます。引用元:office mon
錦野旦さんの弟か妹のどちらの娘かはわかりませんが、錦野旦さん同様に歌がとても上手で人気があります。
錦野旦の実家のエピソード
錦野旦さんの実家のエピソードをご紹介します。
錦野旦さんは、2026年7月現在77歳、65歳の時に夫婦で終活を始め、財産や事務所、お墓のことなどを話し合いました。
錦野旦さんの両親は、錦野家のお墓に入らず、永代供養をしてほしいと話していると明かしています。
お墓も引っ越したんです。前の妻が入っている立派なお墓があったのですが、車で2時間くらいかかる距離で足が遠のいていた。さらに両親に尋ねたら、そこには入らないで近くで永代供養してもらうと言う。
引用元:NEWSポストセブン
終活はとても大切なことで、両親に意向を聞いておくことも必要ですね。
錦野旦の現在(2026年)
錦野旦さんは2025年にデビュー55周年を迎えました。
2026年現在77歳になった今も、コンサートやテレビ出演で精力的に活動しています。
実家のある大分市でも、2025年8月に高齢者福祉施設でトークライブを行い、特殊詐欺防止の呼びかけや歌声を披露するなど、地元でも愛され続けています。
錦野旦の実家についてよくある質問
Q. 錦野旦の実家はどこにありますか?
大分県大分市です。
錦野旦さんは歌のレッスンのため上京するまで、大分市で過ごしました。
Q. 錦野旦の家族は韓国人ですか?
母親が韓国人(在日韓国人)で、父親は日本人とされています。
1961年に家族そろって韓国籍から日本に帰化しており、錦野旦さん自身も1972年に週刊誌でその事実を公表しています。
Q. 錦野旦の父親の職業は何ですか?
父親は社交ダンスの講師で、勤務先のキャバレーで教えていました。
父親の紹介がきっかけで、錦野旦さんは音楽の道に進みました。
Q. 錦野旦の姪はどんな人ですか?
姪の高橋亜美さんは子育てシンガーソングライターで、幼少期から錦野旦さんに憧れて歌手になることを決意した人物です。
福岡県糸島市在住で、学校やホールを中心に「うまれてきてくれてありがとう」をテーマにコンサート活動を行っています。
まとめ
錦野旦さんの実家について調査したところ、以下のことがわかりました。
- 錦野旦さんの実家の場所は、大分県大分市
- 父親は社交ダンス講師
- 母親は韓国人?
- 兄弟の弟は「かつ亭にしきの」を経営、姪はシンガーソングライター
- 実家のエピソード
父親の紹介で、錦野旦さんの歌手としての人生が始まりました。
妻には「75歳まで仕事をさせる」と言われていたようですが、75歳を過ぎた現在でもコンサートやテレビで元気に活躍しています。
今まで色々なことがあって大変な時もあったと思いますが、チャレンジ精神旺盛な錦野旦さんを応援しています。
